受賞の御礼 | 桜内文城オフィシャルブログ「みんなきさいや」Powered by Ameba

受賞の御礼

お久しぶりです。桜内文城です。



このたび拙著「公会計」(NTT出版)が第34回日本公認会計士協会学術賞を受賞しました。選定の経過及び理由等につきましては、JICPAジャーナル7月号190ページ以下をご覧ください。公会計制度改革の世界に身を投じて早や6年。多くの方々からご支援をいただいたお陰で、ここまで来ることができました。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。



もっとも、今回の受賞は一つの通過点であって、「政府の意思決定のあり方を根本的に変革する」という公会計制度改革の本来の目的を達成するためには、まだまだ多くの仕事が残されています。引き続き皆様方のお力添えを賜りますようお願い申し上げます。


さて、ここ数ヶ月の間、ブログの更新が滞っておりました。特に、総務省・新地方公会計制度研究会や、自民党・財政改革研究会での仕事の関係上、機微にわたる事柄が多く、敢えてブログの更新は控えていました。そのような場でどのような議論が行われていたのか、僕自身がどのような主張をしたのか、それは読者の皆様のご想像にお任せする他はありません。しかし、真実は自ずと仕事の結果から読み取れると思います。



公会計にしろ、政府資産負債管理にしろ、実に様々な意見があります。非常に辛辣な批判や反論も多々いただきました。しかし、そのような中で本当にロジカルな主張がどれだけあったのでしょうか。



最も辟易したのは、ロジック(論理性)なくして「誰それ」がこう言っている、という反論です。いかに権力あるポストにある「誰それ」を持ち出そうとも、正当なロジック(論理性)を突き崩すことはできません。拙著でも触れていますが、「権力性」と「正当性」の双方を伴ってこそ他者を動かすことができるというのが、ギリシャ・ローマ時代から認識されている政治哲学の根本です。権力ある「誰それ」を持ち出すことによってロジカルな主張を封じようとするのは、「権力は自らを正当化する」というスローガンを標榜したファシズムとまったく同じ思考態度だと思います。その意味では、戦後60年を経てもなお変わらない岩盤のようなものを垣間見たといえるのかも知れません。



もう一つの反論のパターンは、「そのような仕訳は見たことがない、(自分の知っている)複式簿記は云々・・だから許せない」というものです。これは多少とも企業会計の知識がある方からよく聞かれた批判ですが、その言葉遣いは非常に辛辣でした。公会計のロジック(論理性)の出発点が必ずしも企業会計とは同じではない以上、そこから一つ一つ会計や複式簿記のロジック(論理性)を新たに積み上げていく作業が必要となります。にもかかわらず、射程範囲が極めて限定された企業会計のロジック(論理性)だけですべて事を済ませようというのは明らかな怠慢でしょう。さらに、そのような自らの怠慢を糊塗するために他人を口汚く罵るのは、自ら天に唾するようなものだと気づかないのでしょうか。



カエサルは、「人は自分の見たいと思うものしか見えない」との言葉を遺したそうですが、新しいロジックや、それを精緻に積み重ねたシステム全体について、多くの人々の理解を得るのはなかなか大変な作業です。最終的には、そのようなロジックとシステムを現実のものとして見せつける他はないように思います。僕の勝手な解釈ですが、織田信長の「天下布武」とは、そのような社会変革ではなかったのか・・と想像しています。



様々な批判を浴びながらも、新しい公会計の考え方が生き延びてきたのは、やはりその「ロジック(論理性)の強さ」によるところが大きかったと感じています。その意味でも、今回のJICPA学術賞の受賞により、新しい公会計の「ロジック(論理性)の強さ」が広く会計士業界でもお認めいただけたものとして、(一会計士補ではありますが)大変うれしく思っている次第です。重ねがさね、関係者の皆様方に心より御礼申し上げます。