卒業を目の前に今までのことを振り返ってみます。

 

6年間楽しかった?と聞かれれば楽しかったです照れ

6年間大変だった?と聞かれれば大変でしたショボーン

 

と答えるそんな時間でした。

 

楽しかったけど大変だった。

大変だったけど楽しかった。

 

ちょっと振り返ってみたいと思います。

 

 

1年生

1年目は支援級でした。

受験のことなんて1ミリも意識してなかった。

家と幼稚園以外にも居場所があると気付いてほしかった1年間です。

 

キラキラ大変だったこと

 

他害

時折手が出てしまって、毎回とても悩みました。

相手の子とご家族に本当に申し訳なくて、謝っても謝っても申し訳なさが消えなかったです。

みなさん寛大な対応をして下さるのですが、それが余計に申し訳なくて…。

上の子くんに対しては何度も伝えてるのにどうして分かってくれないんだろうととても辛かったし、悲しくて苦しかったことを思い出します、漠然とした焦りも消えませんでした。

でも、相手の子の事を考えると、加害者側であるこちらが辛い苦しいと思うのさえも失礼な気がして本当に思い悩んだ期間でした。

今思えば場面緘黙の影響で手が出ていたのだと思います。

伝えられないもどかしさをもう少し解っていたら違う対応もできたと思うので、ちょっと後悔もあります。

 

場面緘黙

家では普通に話すのに家の外を1歩出ると何も話さなくなる。

家族相手でも話さなくなります。

学校以外、お店や公園でも同じです。

普段話す姿を知ってるだけにとてももどかしかったです。

色々な要素があって場面緘黙になったのだと思いますが、私(や夫の)育て方になにか過不足があったんじゃないかとやっぱり思い悩みました。

1年生の時は学校では一言もしゃべらずに終わりました。

 

癇癪

今でこそなくなりましたが1年生の頃は毎日のように癇癪でした。

うわぁぁとなってしまうような癇癪もあれば、学校では話さなかったので沈黙の癇癪もあり本当に手がかかりました。

いつも昇降口にお迎えに行ってたのですが、先生に教室まで来て下さい~と呼ばれて行ってみると床に座り込んでテコでも動かない上の子くん。

本当に石みたいに固まってました。

意地でも動かないという気迫を感じました。

話せないことで感情の整理が長引いてたように思えます。

地団太みたいな動きも多かったです。

もちろん家では普通の癇癪をしていました。

学校では声を発せない反動なのか大泣きでしたね。

 

キラキラ楽しかったこと

先生

支援級の先生も交流の先生も生徒の目線に降りてきてくれる先生でした。

二人とも学校は楽しいところと教えてくれました。

もちろん叱られる事もあったけど(問題児だったので)根底に大きな思いを感じることのできる先生でした。

今でも大好きな先生です。

 

初めてのお友達

支援級の1年生の男の子。

マリオが好きな共通点で仲良しになりました。

とても繊細で他害をする子が大の苦手な子だったのに、一度手をあげてしまった上の子くんのことも受け入れてくれました。

話せない上の子くんのこともなんとも思わずに受け入れてくれました。

コロナになる前はお休みの日も遊んだり、今でも仲良しです。

二人並んでるところを和みます。

 

年上のお兄さん

同じく支援級の5年生の男の子。

とても面倒見のいいお兄さんでどことなく上の子くんと雰囲気が似ていました。

あんな5年生になれればいいなと思える憧れの男の子でした。

家に遊びにきてくれたりと(コロナ前)楽しい時間をいっぱい過ごしました。

初めて家族以外に誕生日プレゼントをもらえたのもこの子でした。

家族以外で過ごした誕生日の相手もこの子でした。

 

自主学習

当時『教科書の勉強以外でもな~~んでもいいので毎日自主学習をしよう』というのが学校の方針でした。

なので自己紹介自主学習にはじまり、その日のことを振り返ったり、学校生活アンケートのような自主学習を親子で楽しんでいました。

ノートは全部とってあるので、そのうち記事にしたいです。

 

スター

 

他害のことは今でも胸が痛みます。

相手の子を学校で見かけると今でも謝っちゃいます。

もういいよーーチューなんて笑ってくれますが、今でも申し訳なさは消えません。

 

それ以外はいい思い出です。

今日支援級の時の担任の先生とお話ししましたが、沈黙の癇癪は色々なパターンがありましたねって。

動かない系が多かった気がします。

床以外にも椅子に座ってなにしても動かかい、立ったけど歩かない。

 

楽しかったのは支援級のお友達と先生の影響がとても大きいです。

ありがたい存在でした。

 

1年目だけでも長くなった。

けど、6年分書きたいので分けます~。