神様に愛される魂になる方法 | 心神(たましい)の法則

心神(たましい)の法則

心神と共に生きることをお伝えしています。

美しい魂は神に愛され、死後神の愛に包まれる。

 

うん、そうだと思う。うん。

 

で問題は

 

「美しい魂」って何よ?ってことだと思うわけ。

 

 

 

お久しぶりですがいかがお過ごしですか?

心神(たましい)の法則の佐倉です。

 

ってことで美しい魂ってどういうこと?って話。

 

これも定義が曖昧というか

宗教宗派、または国ごとに価値観が違うわけで

私たちは悩むのよ。

 

どれが本物だ?って。

 

本物じゃないとやばいじゃん

神様んところ、帰れないじゃん?

 

で本物争いが始まるわけ。

これはスピリチュアルもおんなじよ?

 

こっちが正しい

あの人が言ってることが素晴らしい

とかね。

 

まあ人間ってそういうもんなので

それがいいか悪いかって話をしたいわけじゃない。

 

 

心神(たましい)の法則では

美しい魂、清い魂っていうのはないんだけど

(ないんかい!)

 

本来の目的である「愛に変化させ昇華させる」

という意味で使うとするなら

 

そこに「道徳的なもの」というのはあまり関係ありません。

 

ってか、心神(たましい)の法則を生きると

道徳的にするのではなく、道徳的になっちゃうもんだから。

そもそも「道徳的である」のは基準外になる。わけ。

 

だから我慢して道徳的であろうとするのは、ちょっと違うって話になるんだよ。

 

あと「自分らしく」という名目で、痛みの記憶が望む人生を謳歌していくのも、これもちょっと違う。

 

自由に楽しく生きるのはいいけど、そうじゃない時って人生にたくさんあるじゃない?

 

その時「自分の人生はダメだ」って思うようになってしまう。

コインの裏表だよね。

 

それは真実ではない。

 

コインの裏表があるのは「地上の三次元的生き方」の本質で、それが悪いんじゃない。

 

ただ、そこに生きていると「清い生き方」ではない、本来の生まれた目的を達していないという判断になってしまうってことなんだな。これが。

 

 

で、正解は何かっていうと

「自分の負の感情や思考を含めて、心神(たましい)の存在を信頼して報連相していく姿勢」が、美しい魂と言われる生き方になるわけです。

 

なんでかっていうと

そうやって自分を内省して、自分の本当の姿に目覚めて生きることで、道徳的になってしまうし、自分の思い通り(心神(たましい)の部分で)に生きることに委ねてしまえるわけで、それこそが本来の姿だから、楽ちんで恐怖も不満も、全部丸ごと受け入れて生きることができるようになるから。

 

そしてその姿は「自己愛」になってるっていう。

 

すご!

すごすぎ!

 

っていう生き方になってしまう。

 

自分で努力してなろうとしても

限界になるじゃん。

 

自分をゆるそう

自分を愛そう

自由に生きよう

楽しいことだけしていこう

 

うん、悪いことじゃない。

 

ただその世界観(三次元的)なままでは

苦しみも同時にくるわけで

 

その苦しみとか辛さも自分でなんとかしなきゃならんのよ。

三次元ってそういう世界だから。

 

どんなに呪文のように

私は幸せ!と言い聞かせても

やっぱほんとはどっかで

まだ何かを求めてしまうことあるじゃない

 

そんな自分を許してあげて欲しいわけ。

 

だって

もしまだ探しているのなら

それはあなたが「その世界観」から出る準備ができているってことだし、それは素晴らしい船出になるってことだから。

 

 

一緒に抜け出しましょう。

 

 

そんな感じで

ではまた。