母の日記 | 毎日満開!

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日々の出来事を土佐弁で。

母の日記が出て来た。
私が2歳、妹が生まれる少し前から書き始めたみたい。

父がバーやラウンジでピアノを弾く仕事だったため、
朝帰るとすぐに寝て、少し前にオープンしたおもちゃ屋は母に任せっきりで私(子ども)の面倒もろくにみないとぼやいている。

仕入れも父が好きなだけ入れるので支払いが大変で、
お金のやりくりがきついという。
実家では錦鯉を飼うために大きな深い池を用意し、
水道代もばかにならない。

父のきょうだいとは仲良くやっているようで、
毎日のように会ってはおしゃべりしているが
父とはすれ違いの毎日なので生活が嫌になっていた。
作ったご飯にも全く手をつけないと書いている。
私ならガチギレ案件だ。
しかも具合悪いアピールするのに病院には行かない。
(母はこの時に無理矢理でも行かせておけば良かったとすごく後悔している)

妹が生まれてすぐにお婆ちゃん(父の母)が亡くなった。とても母のことを可愛がってくれた人だったのでショックは大きく、寂しかったようだ。
何度もお母さんと話がしたい、もう一度会いたいと書いている。お墓参りにも頻繁に行っている。

日記の最初から目立った言葉があった。

「桜は相変わらず悪さばかりする」

相変わらずチーン

2歳のモンスターはちゃんと親に迷惑を掛けていたようだハイハイ飛び出すハート


妹が生まれた後も悩み事が絶えず、
お酒を呑むようになった。
遠くへ行きたい、死にたいなど
くそネガティブな言葉が際立って来る。

そりゃそうだ。父は夜の仕事から帰るのがしんどいと
市内にアパートまで借りてしまった。
母は私達に服も買えないと嘆いているのに。

オトンよ…

自営のおもちゃ屋はアルバイトさんが来てくれたり
友達が手伝ってくれたりしたようで、
私を保育園に入れたので妹と母は2人の時間を
過ごせたようだ。
(父が倒れたので妹が小さい頃はほとんど
遊んでやれなかったと聞いていたが、
ちゃんと二人の時間はあったようだ。良かった。)


「お手しいや」、「ワン」言いや。
私は妹を犬のように扱ったようだ。
ひどい姉である。

しかもうんこ屋さんになり集金しようとしている。
とんでもない子どもだ。

ユニークな生活をはさみながらも
私達2人に「一緒に死のう」と何度も言っていたらしい。怖すぎる。

二人とも死ぬのは嫌と言うが、たまにいいよと言う

と書いていた。
私も妹も、どうすれば母が明るい顔をするか探っていたのかなぁと思う。
もう少し母が病んでたら私も妹もここにはいない。
こんな環境の中、私達姉妹がよく歪み過ぎずに育ったと思う。

母は1人で悩むことが多かったようだ。
離婚も少し頭をよぎっていた。

この頃からお金のトラブル(父が知らないところで事業を起こしてた、とか色々)出てきて更に悩んでいる。

いつもはダラダラ長い日記なのに、
父が倒れた日はたった1行だけ。

次の日記までしばらく間をおいていた。
父が生死をさまよい日記どころではなかったんやろう。

少し落ち着いたものの、おもちゃ屋の方は
アルバイトさんがいない日があり母が店に立ち、
暇なので本を読むようになった。

この読書がかなり良かったそうで
少しずつ考え方が豊かになり、
私達二人にも本を読み聞かせるようになって
精神的な安定を見せる。

しかし同時期にパチンコにハマった。
(安定してなかった)

ストレスが溜まるとパチンコ屋へ。
たまに勝つけど、ほぼ負けている。
依存症に近く、負けて反省したのにまた行きたいそうだ。困ったものである。

赤裸々日記は私が高校生になるまで続いたが、
突然時が止まったように終わっている。

私が知っている母はポジティブ過ぎて猪突猛進タイプだったが、そういえば死にたいって弱音も吐いてたなぁと思い出した。

遠くに行くのが夢だと何度も書いた日記。
おもちゃ屋を閉め、
働きに出た会社で海外旅行が決まり
夢が叶ったと喜ぶ文字。
本当は私と妹、3人で行きたかったようだが。

私達2人がいると生活が大変だと書いて、
出て行けば心配だと書く。
わがままな母だ。

別の日記には
「今日も家にいる」、「今日も家でテレビ」
淋しいくせに1人が気楽でいいと
実家を離れんかったけど、
最期はうちで一緒に過ごせて
私も母も、そして妹も安心したのではないだろうか。

初盆も終えたけど、母はどこを飛び回っているのやら昇天
時々これを読んで母を思い出そう。