トークライブが終わった翌日から今日までアクセス数がかなり増加していたので、レポを楽しみにしてくれていた人がたくさんいるのかな。遅くなってごめんね。

書ききれないくらいの意識調律した結果の裏エピソードがあって、どれ書こうか迷ってしまいますね。

 

全部話したいけれど、字数しばりもあるから、その意識過程をダイジェストで今回はお送りします。

さて、かおるさんと開催したトークライブ。

61人の応募の中で、抽選に選ばれた20人が参加しました。





ここにくるみんなのイメージがピンクだったので、できればピンクのお花でと色指定したら、快くOKしてくださいました♡




感じたままに今回のイベントを開催して、募集記事を書いて、エネルギーを込めていたら、20人の枠に対して応募が61人。

その数字を見て、61人分のエネルギーを創り出せたなら、もう軽い有名人になれてるやんけと感じました。

 

そこから今度はこのとき感じた「有名人」という意識を使って、この感じた意識を「有名人ごっこ」して育てていくことにしました。

Hibikiさん会いたかったと言ってくれる参加者さんの声を感じたり。

 

自分も感じるままに生きていこうと感じてくれている参加者さんの心を感じたり。

意識の話をしながら楽しいと感じている自分を感じたり。

少し未来の自分(トークライブ当日の自分)の意識を、今の自分に宿すように感じていました。

以前の記事で、私は「カリスマごっこ」がマイブームだとお話ししたことがあるのですが「カリスマごっこ」にくわえてこの「有名人ごっこ」も淡々と感じて堪能していました。

そしたら、なんと「妄想のカリスマ」のかずみんさんが、サプライズとして来てくれることに!!!





カリスマを感じていたら、カリスマの意識を宿すかずみんさんが、会場に登場してくれることになりました!!

 

同じ意識を宿すと、同じ意識をもった人と繋がれるんですね。

 



さて、そうして、刻一刻と迫るトークライブの日。

 



すると、ここで心に異変が起きはじめました。

 

 



大勢の前で話した経験がほとんどない人が、大勢の前で話す。

しかも本も出版されている妄想のカリスマの人が聞きにくる。


「う、うん。はじめてなのに、これだけの人数が集まり、サプライズも創れて、す、すごいことだよ。光栄なことだよ。ありがたいことだよ」



と、頭での言い聞かせが始まる。



しかし、実際の心の本音はこう。

 



「こわい!!!!不安!!!緊張する!!!!」

 

 

ただ「カリスマごっこ」「有名人ごっこ」で純粋に楽しんでいた、堪能していて、そこまではよかったんです。

 

でもいざ現象化がされはじめて、目の前でくり広げられていく展開を目の当たりにすると、「今」の自分の器ではいっぱいいっぱいで、戦々恐々としていました。

ドンとこいと、はじめから思えるほど、鋼のメンタルではないHibiki。

 

あ、ズレ始めてるな。


調子がいいときなら「カリスマごっこ」「有名人ごっこ」の意識感覚と自分の存在とが、融合しているような合致した感覚があるのですが、それがなくなっていることに気づきました。

私にどの意識が存在するから「感じたい意識」との分離を招いたんだろう?

そこにどんな「わたしの意識」があるから?

 

感じたくないものが存在感をあらわして、心を支配しにかかっている…この意識の正体は?

 

探っていくと、それはこういうものでした。



「頭が真っ白になって、言葉が出てこなかったら、どうしよう」

「ちゃんと話せるかな」

「遠方からくる人もいるし、来てよかったって思われたい」

 

この意識が、怖くて、不安で、緊張する感覚を芽生えさせていました。


私…そんな自分をあの場に顕現させたいわけじゃない。そんなことを感じたいわけではない。

 

 

じゃあなにを感じたい?

 

私が主催者側なら、あの場でなにを感じたいんだろう。

私が参加する側なら、あの場でなにを感じたいんだろう。

 

 

もし主催者側の「わたし」が未来の姿で、参加者側の「わたし」が過去の姿だとしたら?

 

主催者の「わたし」は、意識の話をして楽しいって感じていたい。

参加者の「わたし」は、会えてよかったって、普通にとらわれないで、やりたいことやっていいんだって、なりたい自分になっていいんだって、感じたままに生きていっていいんだって感じたい。

 

顕現させたい自分の姿がわかったとき、唐突に浮かんできた言葉があります。


それは、

「我を無くせ」

 

ああしたい、こうしたい。こうなったらどうしよう、こうなりたくないと、現実的に考えて普通に考えるとという「我の意識」でどうこうしようとすると、どうしても制限がかかってしまう。

その「我の意識」は、今もっている思想、制約、恐れが出てきて、それが足かせとなり、自分の意識を現状レベルに引きとどめるから。


ならば、現状レベルに引きとどめない、もっと高次の意識を探し出し、感じてみよう。


そこで自分の心の最も深いところに、現実的に考えて普通に考えるとという「我の意識」を超えられる自分がいると信じて、その存在を感じてみることにしました。


「我の意識」を超越したものと一体化した感覚でやってみたらどうなるだろう?

そうしたら、自分の制限のしばりを超越した体験ができるのではないだろうか?


ただ「我の意識」を超えられる自分の存在を感じるなんて、結構むずかしい。

 

なぜなら「私は大丈夫だよ、できるよ」といえる根拠が外側の現実から探してもどこにもない。

 

人から言われたり資格をもっていたり、そんな目に見えるものを通して「私は大丈夫だよ、できるよ」と感じるというやりかたができないから。


でも感じられるはず。

 

「愛」は見えなくても、その人の存在を思い出すだけで感じられるように。

自分の存在にただ「無限の可能性」を感じてみました。

私にとって「無限の可能性」というものは、そもそもの、

 

うまくできたほうがいい、ちゃんと話せたほうがいい、成功しなくちゃっていう、こうであらないといけないという意識の縛りを超越していくような感覚です。

 

純粋に先のことを感じずに、ただ今というそのときの瞬間を楽しんでいた子供の頃の自分の存在を思い出して感じていく。

「大丈夫だよ、私はわたしで在れたらいいんだよ」

 

親など、幼いときに誰かを全信頼していたときの感覚を呼び起こしていく。

 

そう、あのときのような、

 

私の魂、参加する人の魂、すべての人の魂のバックには全知全能な意識が存在しているのだと感じていく。
 

その意識は、全てを叶えてくれて、全てを許してくれて、全てを信頼できる意識。

そんな自分の奥の奥にある最もコアな部分を感じてみる。

みんなのコアを信頼して。私のコアを信頼して。

 

私が「無限の可能性のある、私がわたしで在れたらいい」と感じていたら、そのエネルギーはきっと会場に響き渡る。

 

そうしたら、そのエネルギーに触れたら、みんなの「無限の可能性」を目覚めさせる一翼を担える。

長年、現実に寄り添い、普通に寄り添い、ほんとうの気持ちを押さえつけてきてがんばってきて、ほんとうの気持ちは誰にも認めてもらえなかった

 

「感じたいことを感じたままに」「やりたいことをやりたいままに」「なりたい自分になることを、願っていい」という意識を、私はこの会場で全肯定しよう。


そう決めたとき、現実の自分の「我」の感覚が薄くなり、すべての意識が溶け込み、ひとつになった感覚が生まれました。


あ、これが他力であり、サレンダーかも。

 

自分のコアの部分に、すべての感情を渡していくこと。

 

緊張するね、うまくしゃべりたいね、来てよかったって思われたいね。

ああ、でも、失敗しても大丈夫、どうなっても大丈夫だよ。


コントロールをしないで、無限の可能性を感じている自分の意識に、事の顛末(てんまつ)は全部任せよう。

 

私はただ、感じたいことを選びとり、感じていくだけ。

自分に合わない意識だなと思ったらその場で脱ぎ捨てて、新たなぴったり合う意識を服のように着せ替えて体験していくだけの存在。

 

 

 

そうしてあらためて、今の自分に合う意識をまといなおしたら…

 







トークライブの2日前に行ったネイルサロンの人が、芸能人にメイクをしていた人でした。

「ネイルやる前は、芸能人のメイクやっていて、映画のときによく呼ばれていたよ」



当日には、家にヘアメイクさんを呼んだのですが、その人も芸能人やアナウンサーのメイクをやっていた人でした。

「ここの近くに漫画家さんが住んでいるんだけどね、TVに出るみたいで担当したよ」

「あの○○(超有名漫画)の漫画家さんのパーティにも呼ばれたことあるよ」


トークライブの当日は、妄想のカリスマのかずみんさんのサプライズ登場。

 

そうして、両手に抱えきれないほどの、たくさんのお手紙とメッセージとお菓子をもらいました。

 

 




振り返ってみてもらうとわかるのですが、

私はまだ何者でもない、現実にはなんの片鱗もみえないところから「カリスマごっこ」「有名人ごっこ」をしています。

 

でもなんの片鱗も見えないところから、少しずつカリスマや有名人に関わる人とポツリポツリと縁ができはじめて、少しずつ現象化されていきます。

そしてだんだんと自分の存在がそのなりたい意識と一体化していき、そういう扱いを受けているなと感じられる現象が起きるようになっていくんです。

 

現実的に考えて普通に考えると、この姿はイタイと笑われてしまうことでしょう。

 

でも、なにもないところからなりたい意識をまとい、その意識が自分の存在そのものなんだと感じ続けてエネルギーを創り出していくことが大事なんです。

 

すると、自分の存在のパワーが世界に影響を及ぼし始めるほどにまで、どんどんなりたい自分のエネルギーが大きく広がっていきますから。

 

ぜひやってみてください。

 

私みたいにブログや人に自分から話さなければ、誰にもバレません(笑)



トークライブ後にくれたメッセージに書かれていた言葉。

 


 


 

 

 

この感想、この記事の最初に書いた、

 

“Hibikiさん会いたかったと言ってくれる参加者さんの声を感じる”

“自分も感じるままに生きていこうと感じてくれている参加者さんの心を感じる”

という、少し未来の私(トークライブ当日の自分)の意識を宿そうと、当日このように感じてほしいなということを、トークライブ前に感じるようにしていたのですが、その自分の意識と、みんなの感想が一致するんですよ。


世界も人も、自分の発する意識と共鳴していく。


トークライブの日「無限の可能性」のエネルギーを、あの場に顕現すると決め、ただすべてを受け入れて、信頼していました。

だからあの場で話したことは、準備された言葉でなく、私が主催者側、参加者側、会場全体のすべての意識が調和することを信頼して委ねていたら、出てきた言葉。

自分に「無限の可能性」を感じていれば、実は「我の意識」でどうこうしたかったこと、言葉が出てこないとか、ちゃんと話せるかとか、来てよかったと思われたいとか、そちらの願いのほうも全て叶っていくのがこの意識のしくみ。

ほんとうよくできていますよね。

 

 

意識は繋がっているから、ジャンル問わずなんですよ。

 

だから恋愛も同じ。

 

 

彼女になりたい、愛されたい。

そうして現実的に考えて普通に考えると、こうしたら愛されるし、彼女になれるという「我の意識」でどうこうしようすると、なぜかなかなかうまくいきませんよね。

でもこれらの「我」の意識を超越する、自分の最も大切にしたい「自分の存在」と接続していくんです。


彼女になりたいと不安で疑っている自分の存在を感じたいわけじゃなかtった。

 

そんな自分と繋がりたいわけじゃなかった。

彼がいないときでも、自分は彼女だと自信をもって感じていたい。

 

この自分と繋がりたい。

愛されたいとすがりついている自分の存在を感じたいわけじゃなかった。

 

そんな自分と繋がりたいわけじゃなかった。

いつでも、彼からの愛を感じられる自分でいたい。

 

この自分と繋がりたい。

 

彼という他人から与えられる愛と安らぎは、彼の態度次第でこちらの心の平穏が変わってしまう、ひどく危ういものだから。

自分が自分の手で与えたい。ひとりの男性を愛することで得られる、愛と安らぎの感覚を。

 

そんな自分を感じ続けていると、私の場合、トークライブのときと同じようなパターンで現象化し始めます。

 

彼と同じ名前の人から電話がかかってきたり、彼に似ていると言われる芸能人のライブに誘われたり。
 

彼を連想させる人との縁ができはじめて、外から彼を連想させる存在がポツリポツリと現れはじめていきます。

そうしてだんだんと自分の存在がその意識(愛されているとか、彼女であるとか)と一体化していき、「彼」が目の前に表れて「愛する人」として扱いを受けるようになっていくんです。

 

大抵私の場合は、こんな感じのパターンが多いです。


(あ、でもポツリポツリと現れずに、なんの前触れもなくいきなり現象化のパターンもありますね)


「自分が感じたいことを、人生で最上位の価値あるものという位置付けで生きる」


物語を自分の意識で創っていくことは、ほんとうに楽しいです。

 

プリンセスをどのような人物と感じているか、クイーンをどのような人物と感じているかなど、人それぞれ感性が違うから、自分が感じていることは唯一無二で、その唯一無二の自分の存在でもって、唯一無二の自分の物語を創っていく。

 

だから私はこの界隈で珍しく、伝えることをメインとしていなかったりします。

 

この界隈って伝えることがメインで、日々実践をしている人は少ないと思うのです。

 

もちろん伝えることも楽しいし好きだけれど、それ以上にやはりずっと、意識を使って自分の物語がどう展開されていくのかを身をもって体験するプレイヤーでいたいのです。研究者でいたいのです。


なぜなら、自分が感じていることを少し変えれば、これまでなんの片鱗も見せなかった日常に、少しずつ自分が放っている意識の周波数と合致する出来事が、自分の周辺で起きてくるんですよ。

 

これほどおもしろくて高揚する刺激的な遊びはありません。

失敗も含めて楽しい。

 

失敗したときは、自分の意識のここの部分が甘かったんだなって探し出すのも(ちょっと悔しいし傷つくけど)そこから反省して成長しようとするのも、物語の主人公やっている感じがして、おもしろくて楽しいんです。
 

今回みたいに、こんな縁もあるんだな、こんことが起きるんだな、こんな自分になれるんだなって、過去にはそうなれるなんて絶対に思えなかったなってことが、人生にたくさん散りばめられていく。

 

そこに充実感と高揚感を覚えるから。

あなたがもし、社会に創り出された存在として、テンプレのような生きかたをする物語を不本意に感じて生きているのなら、あなたはその世界から抜け出すことができます。


トークライブの前日。

 

実は、かおるさんとかずみんさんとかずみんさんの娘ちゃんと焼肉に行ったのですが、そのときにかずみんさんから薔薇の花束をもらったんです。

せっかくだから会場に飾りたいねと、かおるさんにホテルで預かってもらうことにしました。

ラッピングされた花束のままで、何時間も会場に華やかさを添えてくれました。

 

しかし、家に着いたときには、薔薇にに元気がなくなり下を向いていました。(長時間よくがんばってくれました)

 

薔薇も生き生きできる環境で、薔薇が生き生きできる扱いかたをしなければ、元気がなくなり下を向いてしまうのです。

 

 




これは人間も同じです。

自分が生き生きできる世界で、自分が生き生きできる扱いかたを自分がしなければ、心に元気がなくなり、存在がしおれてしまいます。

 

 



でも、花瓶に入れるという生き生きできる環境を創ってあげて、丁寧に丁寧に元気が出るように扱い直してあげたなら…

 

 

 

 

 

 

いくらでもそこから綺麗に咲き直すことができるんです。


私もかつてそうだったのですから。


あなたの手で、なりたいと感じる自分の存在を創り出して、自分の手で創った物語を生き生きと生きていってほしいと、私は心から願っています。

 

 

―あなたが感じたままに生きられる世界を創れることを願って―





♡♡おまけ。すぺしゃるさんくす♡♡

 

 

トークライブでもらったもののゆくえ。

 

もらったお菓子は彼と一緒にゆっくり食べています。

 

この記事書くときもむしゃむしゃ食べながら書きました♡

 

 


 

もらったバスソルトでゆっくりお風呂に浸かり、お風呂から出たあとは、もらったアルシアの化粧水をつけて、もらったハンドクリームつけて、もらった体にサボンのミストをつけています。

 

キャンドルに火を灯して、いただいた花を見て癒されながら、みんなからのお手紙を読んでいます。

 

 

 



これまでもらったお手紙は全部、こないだ買ったときについてきた可愛いGUCCIの箱に大事に保管しています♡

 

 

 

 

 

そしてあいこちゃん、かずみんさんモデル、かおるさんモデル、Hibikiモデルのピアス&イヤリングを作ってくれてありがとう。

 

 

 

 

 

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※※抽選に外れた人のトークライブの特典は、お申し込みフォームにご入力いただいたメールアドレスにお送りしましたので、ご確認くださいませ※※

 

 

 

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