8月に匠の会のメンバーとzoom飲み会しました~♡パチパチパチパチ~♡

 

っていっても、お酒を飲むのは、私とかおるさんだけなんですけどね(あいこちゃんとかずみんさんはそんなに好きじゃない)

 

 


 

みんなもお酒飲もうよとか、じゃあお酒は遠慮するねとかない場。

 

自分の世界にも引き込まないし、他人の世界にも合わせない。

飲みたい人も遠慮しない、飲みたくない人も遠慮しない。

バラバラの感性。バラバラの趣味嗜好。

 

バラバラの者同士がお互いの心(ハート)を尊重すると、その場には心地の良い一体感が生まれる。

 

みんな違うのにね、好きなように過ごしているから、場のエネルギーはほんとうに高くなる。

その夜は、それぞれの推しの恋愛妄想にキャッキャッウフフしたり(*´艸`*)

なれそめ話なども語り…夜は更け…22時開始したのに気づいたら3時になっちゃいました。



さてさて、そんな匠の会ですが、こんな話をしました。

 

みんなとシェアしようってことになったので書きますがな。

(ただ、なーんでこの話になったんだっけ?っていうのアルコール入っててうろ覚えよあちき笑)


かずみんさんってね、あ、かずみんさんってこういう人でね。

 

 

 

 

自分が好きな人とは必ずうまくいっていたっていう、すばらしい恋愛マインド&恋愛遍歴をお持ちなのです。


でもそうなると、言われてしまうらしい。


「あ、家庭環境がよかったからですよね」
 

「だって、父親に溺愛されていましたもんね」
 

「でもかずみんさんとはスタートラインが違うから参考にならない」
 

「かずみんさんはずるい」
 

 

たしかに!社会思想の世界からかずみんさんの存在見たら、

 

かずみんさんは父親から溺愛されてきたんでしょ。もともとそういう環境にいたじゃん。だから、男性からも愛されるんじゃん。

それに比べて私は愛されてこなかった、だから違うんだよ、私にはできないんだよ…だから私が男性から愛されるのなんて無理なんだよ…そう感じちゃうっていうのは無理もないです。

 

 

 

でもまあまあ、待ってくださいよ。

 

どんな環境でも愛される意識の魔法の使いかたを教えるから。

 

さてさてみんな、ここでこんな一面のあるHibikiが登場しますよ。

はい、あらためまして、こんにちは、親から愛されなかった出身のHibikiです(このHibikiの一面は話したことあったけな?忘れちゃった)



さて、Hibikiは親から愛されてきたなと感じたことが、意識を使う前までとんと感じたことがございませぬ(あ、でも意識を使い始めてからは、親と仲良くなっちゃった)
 

 

私の親のエピソードを知っているあいこちゃんの感想は「よくそんなところから、ここまでこれたね」

 

色々エピソードは書ききれないくらいあるけれども。みんなが引かない程度で小学校の頃のエピソードでいうと、

 

九九の掛け算を3回間違えたら「なんでそんなこともできないの」とほっぺをひっぱたかれる。

 

遊んでいて財布を落としてきたら「もう自分の子じゃないから出てけ」と、夜に外に出されて鍵をしめられる。
 

喘息持ちだった妹が薬を飲まなくて「そのまま死ね」と言ってきた母に「子どもに対してそんなこと言うなんて母親失格だよ」と泣きじゃくる。(11才の子どもの口からそんな言葉を言わせないでほしい)

 

風邪を引いて学校から迎えにくるよう親に連絡がいくと、自分の時間を邪魔されたと怒られたので、それ以降は38度以上の熱が出ようと「ひとりで大丈夫です」とひとりで帰る。

 

10歳の頃から病院は親の付き添いなしでひとりで行く。


なにかを買ってもらったことも、一緒に出かけたことも1度もない。しかし自分の趣味には多額のお金をつぎこんでいく姿を見続ける。

とにかく親の体面や親の機嫌を損ねると、ヒステリックに怒鳴られる。

そんなわけで、私の青春は、自分のおしゃれとか女の子を楽しむことに意識を向けるほどの心の余裕がなく、

 

親を怒らせない、親の機嫌を取ることに全振りして生きていました。

しかしそんな私にも、高校時代には人並みに好きな人ができました。

 

でもその好きな彼は、クラスで1番可愛い子と付き合ったんですよね。

 

そのときに感じたのです。

ああ、あの子は可愛く生まれたから。それに比べて私は…って。

 

生まれがいいと得だよねって。



だから、はじめから備わっている人を見て、そう感じてしまうのはわかります。

 

哀しい、ずるい、みじめ、悔しいetc

 

私が実践のはじめのフェーズのときは、みんなのように思っていましたよ。



ああ、この人は、はじめから可愛かったから実現できたんじゃないかなと疑ったり。

 

はじめから愛されているって感覚を知っているから、早く結ばれたんじゃないかなとか。

 

このまま、彼氏ができなくて、誰にも愛されることのないまま一生過ごすのかなって不安になって泣いたり。



最初は自分の環境に絶望しました。だからみんなと一緒よ。

 

私はそれだけじゃない、おまけつき。

それから、意識を学んでいくと、気づいてしまったんですよ。

 

 

 

私が好きになる人は、別の人のことを好きになり、私には見向きもしない。そういう傾向があるって。

 

 

そしてそれは、知らず知らずのうちに、親を見て自分が抱いてしまった感覚なのだと気づきました。
 

親の振る舞いを見て、宿してしまった感覚。それは…

 

「私の愛する人は、私に興味はなく、他のことに夢中」


いつのまにか私は私自身に、恋愛でうまくいかなくなる呪いの魔法を自分にかけていたのです。

 

 

 

周りの人は、普通に好きな人と付き合えているのにね。なんでなんだろうね。

 

好きな人同士が結ばれるなんてことが、私にとってはなにかの奇跡のように感じていました。

 

それほどむずかしいものだと感じていたのです。

そのくせ、男性の好みはいわゆるモテるタイプが好き。はーい、手に負えない、積んでますよね。


 

でもね、でも。

どの本にも書いてあったんですよ。環境なんて関係ないって。状況なんて関係ないって。

 

ただそのときは、そんな文は「ふ~ん」とただ読み流したり、「そうだよね」と一時の気休めの安心感を得るために読んでいて、本気で使おうとはしていなかった。


ぐちゃぐちゃと心の中で、たくさん人のせいにして愚痴や不満をいったものでした。

 

そうしてたくさんの闇を創り出しては、その都度その都度、感じきっていた。





散々そうやっていじけきったすえに、

そこに残った感覚は、

残酷も美しい答えでした。

 

 

 

 

「今」この瞬間が、自分の世界を創る。


これまで、私がどんなにたくさん泣いていても、愛される世界にはならなかった。
 

だからきっと闇を感じている今この瞬間も、愛される世界にはならないだろう。


変えるしかないんだ、自分の心を。

 

自分の存在を新たに創りなおす勢いで。

 

 

『変わろう。入れ替えよう。心ごと、存在ごと』

 

 

 

ダーウィンの言葉を思い出す。

 

「もっとも強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」


 

どんなにスタートラインが違っても、関係ない。

 

 

私に残された道は、愛されない魔法を解いて、愛される魔法を自分にかけ直すか。あるいは、

 

このまま魔法を解かずに愛されない感覚を宿したまま、一生環境や人のせいにする感覚をこの身に宿して生き続けるか。

 

この2択でした。


こうして私は、自分に愛される魔法をかけ直すほうを選び、不可能と言われていることを、意識のありかたで実現レベルまで起こす存在レベルにまで覚醒することになります。
 

 

さてそんな背景を踏まえたうえで、話を戻します。

 

匠の会でふと聞いたのです。

「ねえねえ、かずみんさん。かずみんさんって、男子から笑顔で笑われたことがあったよね?」

 

「そのとき、どういう意識でいたの?」

 

「普通だったら、やっぱり私の笑顔って変なんだなって意識が入って、そのことをずっと引きずると思うんだけど」

 

すると、かずみんさんがこう答えます。

「男子に笑顔を笑われたけれど、父親から溺愛されている感覚があったから。あまり引きずらなかった」

 

「でもそういうと、父親に溺愛されていたなら、スタートラインが違う、ずるいって言われちゃうんだよね」

 

 

今かずみんさんと話せている私は、過去のあの頃の愛されていなかった延長線にいる私じゃない。

 

だからこう言う。


「ああ…それはみんなのとらえ違いだよ」

 

 

 

 

さてここから、どんな環境でも愛される意識の魔法の使いかたを教えます。

 

スタート地点が違う側の愛されない出身者の私が、なぜ愛されることができるのは環境のせいじゃないって意識に変われたのか?

 

 

 

感覚思想に意識が変わったからなんですよね。状況とか環境とかではなく、相手の心の感覚の動線を読むようになったから。



なぜなら。

 

かずみんさんにも、男子から愛されないんじゃないかって出来事は、平等に少なからず起きているから(参照↓)

 


 

 

男子に笑われる経験をしたらね…普通は、

 

私って笑顔は可愛くなかったんだ…だから笑顔を見せてはいけないんだ…私は男子から見たら可愛くないんだって、そういう意識が入ってもおかしくない。

でも、かずみんさんはその意識を選択しなかったのです。

「ちがう私は愛されている」って、ずっとお父さんから溺愛されていたエネルギーのほうを採用していました。



「愛されない世界A」と「愛される世界B」に世界が分岐するときに、

 

男子から笑われた事実から、私は男子からは愛されないと解釈し続けてもおかしくなかったのに、です。

 

 

 

Aボタンを押してもおかしくないところを、その出来事があっても、ずっと「愛される世界」というBボタンを押し続けた。

 

そういう出来事が起きるたびに、何度も何度も。


これが愛される意識の魔法なのです。



ただ、なかにはこう感じる人もいるかもしれません。

でもこれだって、お父さんの愛のエネルギーがあったからでしょう?そういう見方もできるでしょう。

でも果たしてそうでしょうか?

 

 

 

お父さんの愛があっても、そのときの本人の解釈次第なのです。



ああ、お父さんは親だから、自分をひいきめで見ていたんだ。

 

本当は学校や社会では、自分はたいして可愛くなんてなかったし、むしろ男子からは笑顔を笑われてしまう存在で、女性としてはモテない、価値がない存在なんだ…そう解釈することだって、できたことでしょう。



「愛される世界」のBボタンを選択できる心の強さや心のありかたは、かずみんさん本人によるものです。

 

 

この話をされたときに、この心の感覚回路を一瞬でたどって「それちゃうで」とHibiki節で解説したのですが、そしたらみんなにこの話をブログで書きなよってお尻を叩かれ背中を押されたので、

 

「これ文で書いて伝わるかなあ?なかなかのヘビー解説」と思いながら、書いております。伝わるといいなあ。


こんな長い話をしているけれど、でも伝えたいことは1つだけだったりするんですよ。

 

 

自分の夢を恋愛を、環境やスタートラインやスペックであきらめる必要はないのだと。

 

それをHibikiの存在を通して感じてほしいし、そこに希望を感じてくれたら嬉しいのです。

 

 

私もはじめはそうだった。環境やスタートラインやスペックであきらめていました。

 

でもなんでそんなふうになれたのか?

環境もスペックもすべてを取っ払って、心のありかただけを見ようとしてきたからです。



かずみんさんなどの先に実現している人の話を聞くとき、

 

過去がどういう環境だったか、立場や能力など、社会思想の世界で大切とされているところで、自分と一致していないところは、聞き流して大丈夫です。

 

 

 

耳をダンボにするときは、次の点なんです。

 

 

 

 

男子に笑われるなど、愛されていると信じられなくなりそうになる出来事があったとき、

 

「どんな心のありかたを、この人はしているのだろう?」というところ。
 

 

 

 

どんな意識でいたから、乗り越えられたのか?実現したのか?というところ。そこを取り入れてみる。

 

 

 

かずみんさんは「お父さんの愛を感じていたから」と答えていました。
 

 

このかずみんさんの答え、社会思想の世界で聞くと「私とは違う」とあきらめたくなります。

 

その先の話も聞く気にならず、思考停止してしまうかと思うんです。あ、私は違うから無理だと。


 

かずみんさんの講座を受けようとしている人とか、他の人の講座やセミナーを受けて質問や相談する機会があるときは、感覚思想の世界で聞いてみて。

 

「どう感じているのか」「どう解釈するのか」に最も価値があるのだということを思い出しながら。

 

 

そうしたら、自分に置き換えてマネしやすいし、実践しやすい。


たとえばこんな感じ。

 

 

 

かずみんさんは、お父さんに愛を感じていたのね。

その愛が心の支えとなって「愛される世界」のボタンを押し続けられたのよね。



うーん、なら、私は親は無理だな。

 

でも、お父さんが無理な場合は、別のものに置き換えたらいけないかな?って。

 

 

 

 

だって「お父さんから溺愛されている」って感じることが大事なのではなく「私は愛されている」って感じられることが大事なのだから。

 

自分が愛されているって感じられるなら、世界からは愛されている感じられる出来事が起きるから。



その代表例が、かずみんさんがいつも話している「妄想」です。
 

 

 

 

親からの愛がむずかしいなら、推しにしたらいいんですよ。

アニメキャラでも、韓流でも、俳優さんでもなんでもいいのです(どうやって妄想で愛される?かは、かずみんさんのブログや本を参考にしてね)


妄想がむずかしい人であれば、愛されているって感じるなら、ぶっちゃけなんでもよいのですよ。

ダイエットしてもいいし(こんなに痩せたのだから私は愛される!って感じたらオケ)

メイクの勉強してもいいし(こんなに可愛くなれたのだから私は愛される!って感じたらオケ)

可愛い洋服を着てもいい(こんな可愛い洋服着れる私って素敵だから愛される!って感じたらオケ)



私はこうして親でできないなら、イメージやアファメーションでと、愛される感覚を宿した結果、

 

理想の男性の出現体験も、ハイスぺ男性から何人も告白されるモテ体験も、復縁体験も、

 

恋愛で多くの人が悩みそして憧れる、ほとんどのことを意識で叶えてきて、

 

今は自分のペースでいられる、幸せでなんとも穏やかなパートナーシップを築いています。




(こないだ彼に薔薇買ってもらった♡)



 

 

さて、どうですか?

 

 

 

親から愛されていると感じたこともなく、容姿や体型も可愛くないと拒絶された経験だってあり、

 

愛されマインドってなに?ってなにもわからないスタートラインからの人でも、ここまでの世界を体験できました。

 

 

 

「なりたい感覚をこの身に宿せば、なりたい自分になれる」


 

 

これまでは、自分が自分自身に、愛されない魔法をかけていたのです。

愛されないと感じるようにしてあげると。

 

あなたが生きる世界で、すべて愛されないと感じられるように。

 

そんなふうにダークサイドの自分がかけた呪いの魔法です。




でも自分にかけた魔法なら、自分で解くことだってできます。

 

 

 

そのためには、愛されている人の心のありかたを知ることって、とても大事。

愛される人の心のありかたは、その感覚を宿せればいいのねって、目指せばいいおおよその方向がわかるから。




愛される感覚を宿せることが、

 

愛されない魔法を解くカギであると同時に、自分に愛される魔法かける方法でもあります。

 

 

 

あなたの前に現れた、先をいく人たち。

どんなに自分との差を感じても、それは決してあなたをどん底に感じさせるものではありません。

 

「あなたと私はポジションが違うから、だからあなたは無理なの、あきらめて」と伝えるためのものではありません。

 

 

そういうときは、とらえかたが違うのです。

 

 

実はその人は、あなたの人生に無関係なのではなく、みんなあなたのための世界。

 

人生でふと目にとまって気になる人物は「あなたはそうなれる」を紹介する人物コレクションショーなのです。

 

目にとまったときは、社会思想の「差」に意識をフォーカスするのではなく、その人の心のありかたを見てみてください。

 

 

きっとあなたに今必要な感覚が見つかりますから。

 

 

目にとまる人は、あなたの実現を助ける実現アイテムです。

 

 

 

 

 

次回は、愛されていないと思っていた親との仲直り編へ。