本記事は、7月18日にアップした物ですが、ヨミドクターのコラムと連動するために、ブログの最新ページに持ってきています。ご了承下さい。
施設長の若山三千彦が書く文福コラムです。
今回のコラムは、「まんが看取り犬・文福の奇跡」(学研プラス社)に掲載したコラムの1編に加筆修正したものです。ご了承下さい。
本ブログの読者の皆さんはご存知の通り、文福はご入居者様を看取るという行動をします。
素晴らしい力を持っているのです。
文福はまず、同じユニットで一緒に暮らしているご入居者様の死期が近づくのを察知します。
そうすると、最初はその方のお部屋の扉の前に座り込んで項垂れています。
これが文福の看取り活動の第一段階です。
さくらの里山科の内部は、当然バリアフリー構造になっており、扉は全てスライド式の引き戸です。
引き戸なので文福は自分で開けられます。
引き戸を開けられる犬って結構いますよね。
だから普段は文福は、全てのご入居者様のお部屋に自由に入って行って、ベッドに潜り込んだりしています。
しかし、看取り活動第一段階の時は、文福は決してお部屋に入りません。扉の前で佇んでいます。
そして、お一人お一人、それぞれの場合で時間のずれはありますが、概ね翌日位に、文福はおもむろにお部屋に入っていきます。
お部屋に入ると、ベッドの脇に座って、ご入居者様のことを見つめています。
これが看取り活動第二段階です。
第二段階では、文福はベッドに上がろうとしません。
その数時間後、あるいはさらに翌日、文福はベッドに上がると、ご入居者様に寄り添ったり、お顔を舐めたりします。
これが看取り活動第三段階=最終段階です。
文福がベッドの上でご入居者様に寄り添い始めると、その数刻後にご逝去されます。
もちろん、文福がご入居者様の最期を察知する能力は万全ではありません。
ご入居者様が心筋梗塞などで突然お亡くなりになった時などは、文福も予測できず、看取り活動をすることもありませんでした。
文福が最後を察知できるのは、老衰で亡くなる時だけです。
老衰の場合、まずは身体が衰弱し、食べ物や水を受け付けなくなります。
そうして数日~数週間後、まさに木が枯れるように自然な形でお亡くなりになるのです。
おそらく文福は、何も食べず、何も飲まない身体が発する匂いを感じ取っているのだと思われます。
このような、老衰により亡くなる時の匂いを察知する能力は、実は多くの犬が持っているのではないかと私は推測しています。
だから文福が他の犬と違うのは、ご入居者様の最期を予測できることではなく、予測して特別な行動をすることだと思います。
ではなぜ文福だけが特別な看取り活動をするのでしょうか。
その理由は、文福が死の恐怖を体験したことにあると私は考えて居ます。
保健所で文福は、壁一枚隔てた隣の部屋で、殺処分される犬達の断末魔の悲鳴を聞いていました。
次は自分の番だ。明日はもう生きられないと、恐怖に震えていたです。
その孤独な恐怖体験があるから、文福はご入居者様の死期を察した時、一人で旅立たせないようにと、寄り添っているのではないでしょうか。
きっとそこには、動物保護団体「ちばわん」に助けられた後、譲渡会で誰からも声をかけられなかった体験も影響していると思います。
文福は孤独の寂しさを知っているのです。
だから、ご入居者様が孤独に寂しく旅立たないように、寄り添っているのではないでしょうか。
もちろんこれは、単なる私の妄想です。あまりにファンタジー的な妄想なのはわかっています。でも、これで文福の行動に説明がつくと思えませんか?
人に捨てられ、この世のどこにも居場所がなくなり、死の恐怖におびえて、孤独に震えていた文福が、自分が得た居場所=自分の家で、一緒に暮らす仲間であるご入居者様の最期を察知して、一人寂しく旅立たない様に寄り添っている。
もし、この私の推測が当たっていたら、文福の愛情は何と深いものでしょうか。
犬が人間に対して、奇跡的な忠誠心と愛情を持っていることは、歴史上多くのエピソードで語られてきました。
文福もそのような歴史上の名犬に負けない深い愛情を持つ犬だと言ったら、ただの親馬鹿になってしまうかもしれませんが、私は本気でそう思っています。