8月6日日曜日の初台で、12時公演の「Rain」を見ました。

 

 

愛知県芸術劇場×DaBY ダンスプロジェクト による公演ですが、唐津絵理さんのプロデュースで、米沢唯さんが踊る新作というイメージでした。宣教師のデイヴィドソンは、3月の愛知の初演では吉崎裕哉さんだったそうですが、8月公演は中川賢さんが踊ります。まわりを Dance

Bace Yokohama のレジデントダンサーが固める形でした。

 

原作がサマセット・モームの「雨」ということで、初めて読みました💦 面白いのですね、今まですいません。ですが、舞台を見るのにはどうだったのか、原作と作品のあいだにあまりつながりがないというか、ダンスの宿命なのですけれど、ずいぶん要素を捨てちゃってたなあと思ってしまって、読まないほうが楽しく見られたかも。

 

植民地の白人と現地人、植民地にいる白人どうしの関係、セリフもないのだから描きにくいのは当然とはいえ、衣装の色合いなど工夫もできたのでは。一番気になったのは、宣教師と娼婦という関係についてキリスト教的なタブーや罪の感覚が、ダンスの中で描かれているとは思えなかったことでした。米沢さんのトムソンが、中川さんの宣教師デイヴィッドソンを手をかえ品をかえ誘惑していくのですが、宣教師ぽかったのは最初の衣装だけ、あとはだんだん脱いじゃうし、宗教的な葛藤という点で、トムソンのほうにも変化があってもよかったのでは。クライマックスのデュエットは見ごたえありましたが、中川さんのダンスの魅力もあまり味わえませんでした。

 

全編自然音に近い音楽で、瞑想的な踊りにはぴったりですし、雨のオブジェともいえる装置を活かした動きがよくできていて新鮮な驚きでした。ダンサーの水準も高いです。

 

ただ、巧いダンサーさんぞろいなのですが全体的に小柄で、もうちょっと手足の線が長く見せられたらなあというところもありました。唯さんの役も、本当だったら抑圧される女性なのだと思うのですが、物理的に上からふってきた女神みたいに見えてしまうのでした。

 

あと、申し訳ない、踊りの感覚とか全体的になんだか古いんですよね。とくにアンサンブルのダンサーたちの振付やキャラクターづけが、古典的コンテンポラリーというか、20世紀のモダンダンステイストに、どうしても思えてしまいました。

 

なかで唯さんはきわだった動きに、この日最前列でしたので色っぽい流し目たくさんで大変堪能しました🥰 誘惑者としてホントに素敵でした、カーテンコールで手をたたいてたら一瞬目線をいただいた気がします🥰

 

最前列で、舞台全体の装置や照明、音響の立体性など、近すぎてわからなかった点がきっとあったはずですが、全体に単調な印象はぬぐえず、宗教タブーを無視して突破ってなんだかなあという感想でございました。