燈火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ
家のあたり見ず
柿本人麻呂
(ともしびの あかしおおとに いらんひや こぎ
わかれなん いえのあたりみず)
意味・・明石の広い海峡に船がさしかかる日には、
はるか彼方の故郷に別れを告げることに
なるであろうか。もう家族の住む大和の
山々を見ることもなく。
当時、防人たちを初めとする国を追われ
た人達は、明石海峡を越えてそれぞれの
地に送られて行った。それで明石は別離
を象徴する場所となった。
作者も大和から九州へ下る時の心細さ、
長い間家族ともう会えない寂しさを詠ん
でいます。
注・・燈火=明石の枕詞。
大門(おおと)=大きな海峡。
作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没未
詳。奈良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・
官の名称)として草壁皇子、高市皇子に仕え
た。
出典・・万葉集・254。