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あせにける 今だにかかる 滝つ瀬の はやくぞ人は
見るべかりける      
                  赤染衛門

 

(あせにける いまだにかかる たきつせの はやくぞ
 ひとは みるべかりける)

 

詞書・・大覚寺の滝を見て詠みました歌。

 

意味・・衰えてしまった今でさえ懸かっている滝を、
    (すっかりなくなってしまわないうちに)早く
    人は見ておいたほうがよいと思いますよ。

 

    大覚寺の滝が枯れたあと公任が詠んだ歌が
    があります。「滝の音は絶えて久しくなり
    ぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」
             (意味は下記参照)

 

 注・・大覚寺の滝=京都市右京区嵯峨に遺跡として
    現存している。

    あせにける=褪せにける、衰えてしまった。
    かかる=「懸かる」と「斯かる」の掛詞。
    滝つ瀬=急流の意。「はやく」の枕詞。

 

作者・・赤染衛門=あかぞめえもん。生没年未詳。父
    は平兼盛。

 

出典・・後拾遺和歌・1059。

 

参考歌です。

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ    
                  藤原公任

 

(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
 ながれて なおきこえけれ) 
    
意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
    がたってしまったけれども、その名声だけは
    流れ伝わって、今でもやはり聞こえてくる
    ことだ。

 

    詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した
    折、大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。

 

 注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
     「こそ」は強調する言葉。名声は今日まで
     流れ伝わって、の意。後世この滝を「名古
     曾(なこそ)の滝」と呼ぶようになりました。

 

作者・・藤原公任=ふじわらきんとう。966~1041。
    漢詩文・和歌・管弦の三才を兼ねたという。

 

出典・・千載和歌集・1035、百人一首・55。