1751


 

燈火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ
家のあたり見ず    
                柿本人麻呂

 

(ともしびの あかしおおとに いらんひや こぎ

   わかれなん いえのあたりみず)

 

意味・・明石の広い海峡に船がさしかかる日には、
    はるか彼方の故郷に別れを告げることに
    なるであろうか。もう家族の住む大和の
    山々を見ることもなく。

 

    当時、防人たちを初めとする国を追われ
    た人達は、明石海峡を越えてそれぞれの
    地に送られて行った。それで明石は別離
    を象徴する場所となった。

 

    作者も大和から九州へ下る時の心細さ、
    長い間家族ともう会えない寂しさを詠ん
    でいます。

 

 注・・燈火=明石の枕詞。
    大門(おおと)=大きな海峡。

 

 作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没未
    詳。奈良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・
    官の名称)として草壁皇子、高市皇子に仕え
    た。

 

出典・・万葉集・254。