0565



灯火の 影にかがよふ うつせみの 妹が笑まひし
面影に見ゆ
                 詠み人知らず

 

(ともしびの かげにかがよう うつせみの いもが
 えまいし おもかげにみゆ)

 

意味・・灯火の光に揺れて輝いているあの娘(こ)の笑
    顔が、今も目の前に浮かんで来る。

 

    この歌の作者の男は、その娘と離れているの
    でしょうか。でも、この歌は、とりようによ
    っては、今は亡きその娘が、現身・・つまり、
    まだ生きていた時の面影がありありと目に浮
    かんで来るという意味にも取れます。

 

    古典解説者の前川妙さんのお話です。

    「私の亡き夫の思い出も、とりたてて大きな
    出来事というのではなく、何かの時に、ふっ
    といい笑顔を見せたという事が、一番心に残っ
    ているのです。我が家の前は小路になっている
    のですが、ある時、私はその道を、南の方から
    家に向かって帰っていたら、向こうの北の方か
    らやって来る夫の姿が見えたのです。夫はとて
    も嬉しそうな顔をして、「おーい」と、私に向
    けて大きく手を振ったのです。まあ、あんなに
    にっこり笑って、手まで振って、近所の人に見
    られたら恥ずかしい、と、私はてれて、小さく
    笑っただけです。
    でも、その時の彼の笑顔と声は、私の中にはっ
    きり刻みつけられました。今でも、家に帰ろう
    と小路の角を曲がると、あの日の笑顔が面影と
    して目の前に浮かび、声さえ蘇(よみがえ)って
    来るのです」。

 

 注・・かがよふ=ちらちら揺れて光る。
    うつせみ=現身。現実の姿の意。
    面影=目の前にいない人の顔や姿が、いかにも
     あるように目の前に浮かぶ事。

 

出典・・万葉集・2642。