ここをまた われ住み憂くて 浮かれなば 松は独りに
ならんとすらん
西行
(ここをまた われすみうくて うかれなば まつは
ひとりに ならんとすらん)
意味・・こうした淋しい所なので、もし住むのがうと
ましくなって、心を他に移して旅にでも出る
ような事になったら、庵の前に生えている松
よ、お前はひとりぼっちになってしまうんだ
ね。
讃岐の白峰という所にある崇徳院のお墓に
参り、その後その近くで庵を結んで暮らして
いたが、土佐の方面に旅立つことになり、
その時に詠んだ歌です。
松には保元の乱で敗れて讃岐に流された崇徳
院を思い偲ばせています。望郷・悔悟・憤怒
・怨念の日々を過ごした崇徳院に対する回向
の呼びかけです。
注・・浮かれ=さまよい歩く、さすらう、漂泊の旅
に出る。
崇徳院=1119~1164。鳥羽天皇の第一皇子。
保元の乱に敗れ香川県・讃岐に配流された。
作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤
義清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
出典・・山家集・1359。