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更えなずむ 寝汗の衣に この真夜を 恋へば遥けし
ははそはの母は
                           明石海人

 

(かえなずむ ねあせのきぬに このまよを こえば
 はるけし ははそはのははは)

 

意味・・寝汗で濡れた衣類を着替えようにも思うように
    ならない深夜、母がいたらなあと、恋ても遠い
    ふるさとの母よ。

 

    癩病を患い、視力が完全に失われる頃に詠んだ
    歌です。この頃になると三十九度の熱が出る事
    も珍しくなかった。そうした時は寝汗に悩まさ
    れた。腋の下からにじみ出る汗が、背中から首
    筋のあたりまで広がり、どうにも我慢出来なく
    なる。それで、着替えをと思うのだが、視力は
    失われつつある上に、神経をおかされた指先の
    感覚も乏しく、思うようにままならない。唇に
    触れ、舌で探って、シャツのそでを探しあぐね
    ているうちに熱のある体は、じきに疲れてくる。
    しかも寒い。泣きたいほどのみじめさ。
    こんな姿をふるさとの母が見たらどう思うだろう
    か。そんな事を思って、つい、くり返し、くり
    返し、声を呑みつつ母の名を呼ぶのであった。
    
 注・・なずむ=泥む。はかばかしく進まない。
    ははそはの=母にかかる枕詞。

 

作者・・明石海人=1901~1939。ハンセン病を患い岡
    山県の愛生園で療養。手指の欠損、失明、喉に
    吸気管を付けた状態で歌集「白描」を出版。

 

出典・・歌集「白描」。