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住江の 岸の姫松 人ならば いく世か経しと
言はましものを
              詠人知らず

 

(すみのえの きしのひめまつ ひとならば いくよか
 へしと いわましものを)

 

意味・・住江の海岸の老松が人間であったならば、いった
    いお前は何年ぐらいたった木なのかと尋ねてみた
    いものだ。
 
    松の大木を見て感動したものです。

 

 注・・住江の岸=大阪住吉付近の海岸。
    姫松=本来は小松の意だが、ここでは老松の愛称。
 
出典・・古今和歌集・906。

78



物おもへど かからぬ人も あるものを あはれなりける
身の契りかな          

                   円位法師

(ものおもえど かからぬひとも あるものを あわれ
 なりける みのちぎりかな)

意味・・恋の物思いをしても、このようにひどく苦しま
    ない人もいるのに、しみじみと情けなく思う我

    が身の宿命であるよ。

     恋の思いだけ、というわけでもないが・・。

 注・・物おもへど=思い悩む、心配事をする。恋の思い。

    かかる=懸かる、病気・災害・けがれなどが身に
     及ぶ、降りかかる。
    契り=約束、運命的なつながり、因縁。

 

作者・・円位法師=えんいほうし。1118~ 1190。西行

    法師と同じ。

 

出典・・千載和歌集・928。

84


 


老いぬとて などかわが身を せめきけむ 老いずは今日に
あはましものか       
                    藤原敏行

 

(おいぬとて などかわがみを せめきけむ おいずは
 けふに あわましものか)

 

意味・・私は年老いて役に立たなくなったといって、
    どうしてわが身を責め恨んだのだろうか。
    もし年をとり生きながらえることが無かっ
    たら、今日の喜びに逢えたでしょうか、逢
    えなかったのです。

 

    年を取って生きながらえることがなかった
              ら、栄えある今日を迎えただろうかという
    感慨を詠んでいます。

 

 注・・せめき=責めき、とがめる。恨む。

 

作者・・藤原敏行=ふじわらのとしゆき。901年没。
    従四位上・蔵人頭。

 

出典・・古今和歌集・903。

75



月のみぞ 形見にうかぶ 紀の川や しづみし人の 
あとのしらなみ          

                 心敬

(つきのみぞ かたみにうかぶ きのかわや しずみし
 ひとの あとのしらなみ)

意味・・今は月ばかりが亡き人の形見のように浮かんで
    いる紀の川は、その川底に沈む人々のことも知
    らぬげに、ただ白波が立っているばかりだ。

    心敬の故郷、紀伊国の戦乱が1445年から10年

    余に及び、紀の川に沈んだ数は1800人と言

    われています。河に浮かぶ月と白波を呼応させ

    哀歓を詠んでいます。

 注・・紀の川=紀伊国(和歌山県)の歌枕。
    しらなみ=「白波」と「知らない」(かかわり

     なく)を掛ける。

 

作者・・心敬=しんけい。1406~1475。権大僧都。

 

出典・・寛政百首(岩波書店「中世和歌集・室町篇」) 

0597 (2)


そのかみの 神童の名の
かなしさよ
ふるさとに来て 泣くはそのこと
                     石川啄木

 

(そのかみの しんどうのなの かなしさよ ふるさと
 にきて なくはそのこと)

 

意味・・昔、私がまだ子どもだった頃、人からは神童など
    と呼ばれ将来を期待されたものだったが、貧しさ
    のため辛い日々を送っている今のこの我が身を思
    うと、神童などという呼び名の、何と切なく空し
    く響くことだろう。ふるさとに帰ってきて涙する
    のは、ただそれを思ってのことだ。

 

 注・・そのかみ=昔、その当時。
    神童=才能が非常にすぐれている子供。

 

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26

     歳。盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻に師事する

    ために上京。新聞の校正係などの職につく。