息子の左眼④のつづきです。


3月中旬、

2回目のレーザー手術の日を迎えました。



今から思い返せば


この頃の私の精神状態は

かなりおかしくなっていました。



これ以上自分が傷つくことがないように、


「息子の眼は見えないんだ」

と思い込むことで、


自分の心を守ろう、守ろうと

思うようになっていた気がします。



病気の発覚、即 眼球摘出という


死ぬまで(死んでも)

癒えることがないであろう傷を負い、



それでもなんとか、なんとか、



残った眼だけでも残してあげたい

片眼だけでも視力を残してあげたいと



必死になって努力をしてきたのに、



残った眼も視力がない

と断言されてしまったら、



もう私は、そこから先

自分の精神を正常には保ってはいけないと



無意識に、心のどこかで

分かっていたのでしょう。




誰かに「眼が見えない」と断言される前に

自分自身がそう思い込むことで



予防線を張っていたのだと思います。




…………………………




3月中旬と言えば

新型コロナウイルスの感染拡大が

目に見えて分かるようになってきた時期で



私は、その頃にはすでに



がんセンター内も危険である、

いつ院内感染が起こってもおかしくない、



と恐怖心を抱いていました。



(余談ではありますが、退院後程なくして

 私達が入院していた築地のがんセンターで

 看護師さんの感染が発覚し

 ニュースになりました。

 その後院内感染とはならなかったようですが、

 コロナウイルスが目前まで迫って来ている

 恐怖を覚えました)




したがって23日の入院中は

感染の恐怖から

プレイルームなどは一切利用せず、



接触の機会をなくすために

ずっとカーテンを締め切り、

狭い空間でじっと耐えて過ごしました。



私と息子が入院中、

夫は近隣のアフラックペアレンツハウス

にて寝泊りをし、


レンタカーでがんセンターまで

通ってくれました。


(すっかり東京での運転に慣れた様子でした。

 アドバイスいただき、

 ほんとうにありがとうございました)




面会時間中は夫がいてくれたので

私の精神状態も保たれていましたが、



面会時間が終わり夫が帰ると、

誰とも会話もできず



息子と2

ずっと狭い空間に閉じこもることになり、



その環境も余計に

私を追い詰めていきました。





入院初日から

ずっと心がザワザワしていて落ち着かず、



(明日の手術が終わったら、


 また、先生から


 辛くて苦しい説明を


 聞かなくてはいけないんだろうな…)



と、


虚しい心の準備をしていました。




…………………………




二回目の手術当日、

この日も息子は朝一番の手術でした。



手術内容は前回同様レーザーです。




前回と同じく

手術室まで息子を送り届け、


夫と2人待っている間ずっと



手足の血の気が引いて

息も上手にできなくなり、



生きた心地がしませんでした。





前回も手術後の先生からのご説明で

心を完全に打ち砕かれてしまい、



今回も息子の手術後に、

同じ経験をしなくてはいけない



という恐怖心がそうさせていました。




息子の手術が終わり、

院内PHSで連絡を受け、


夫と2人、手術室の前まで向かいました。



長くなってしまったので

つづきます。


今回も数回に分けます。