息子の左眼③のつづきです。


レーザー手術自体は無事に終わり
翌日には退院となりました。


先生の説明を伺ってから、

「網膜剥離」という言葉が 
ずっと 鋭い刃のように
私の胸に突き刺さっていました。


今まで息子と過ごしてきて、

「眼が見えている!」
と思えた大切な一瞬一瞬が


「網膜剥離」という言葉によって

シャボン玉が割れるように
儚く散っていく感覚になっていました。



おもちゃを掴んで遊んでいた瞬間、

こちらを見て笑ってくれた瞬間、

私が動くと目で追ってくれた瞬間、


とても穏やかで幸せな その一瞬一瞬に、

「すべては私の気のせいだったのだろうか」
という疑惑の暗雲が立ち込め、

大切な記憶たちにモヤがかかっていきました。



…………………………


私は事あるごとに夫に尋ねました。
「目、見えているかなあ」


夫は頑として 「絶対に見えている」
と言ってくれました。



その言葉を聞くと一時は安心出来るのですが、

また、ふと「見えていないかもしれない」
という不安が襲ってきて、


その度に夫に
何度も、何度も、何度も聞いていました。



夫は優しい人で、
私が何度質問しても 絶対に怒ることはなく

「見えているよ。
 だってこっちを見て笑ってるよ」

と毎回励ましてくれました。




夫が一緒にいてくれる時は
その言葉に救われていたのですが、


夫が仕事に行き、息子と2人で過ごしていると
「見えていないのかもしれない」

という恐怖が襲ってきました。



息子と2人の時間は、

「見えているかも」
「やっぱり見えていないかも…」

の2つの気持ちの
せめぎ合いの時間となっていました。


…………………………


今更ながらの気付きではありますが、

この時の私は、息子のことを
信じてあげられていなかったのだと思います。


主治医の先生の言葉だけが全てと思い込み、
さらには「見えていないかも」という
言葉だけを過大に受け取りすぎ、

全てを悪い方、悪い方に考えて

目の前にいる息子のことを
全く見ることができていませんでした。


…………………………


この事を
何度もブログに書こうとしました。

でも、
「網膜剥離」の言葉が、

そのたった四文字が怖くて、
心臓がえぐられるようで、


何も書けなくなってしまいました。



書けなかった間もコメントをしてくださる
方が大勢いてくださり、

ほんとうに、ほんとうに優しい言葉で
私のことを心配してくださり、


お礼を言いたい、
ブログを書きたい、
この気持ちを聞いてほしい、


そんな思いが
ずっと胸の中にあったのですが、


ブログを書くことで
当時の生々しい記憶と感情が
蘇ってしまうことが怖くて、

書くことができなくなってしまいました。



(皆さんのコメントは
 ほんとうに、ほんとうに嬉しかったです。
 改めて、ありがとうございます)


さらに新型コロナウイルスの感染拡大
に伴い、外出することも出来なくなり、

仕事以外は全く外に出ずに
家に引きこもる日々が続き、

ますます気持ちも塞ぎ込んでいきました。



こうして私の精神状態は
不安定な橋の上に立っているように
グラグラと揺れていて、


だんだんと、心から笑える日が
少なくなっていったのです。



そんな日々を送りながら、
2回目のレーザー手術の日を迎えます。


つづきます。