9月28日の決算特別委員会、教育費ではまず、学校教育における手話言語について質問しました。
手話をめぐる歴史的な流れはまず質疑を読んでいただいたほうが分かりやすいと思うので、議事録を載せた上で私の思いを書きます。
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〈かとうぎ桜子〉
小学校費、中学校費に関連して伺います。
区議会では、2014年に手話言語法の制定を求める意見書を提出しています。
手話が音声言語と同様に、言語として保障されること、そのために国民の理解を広めるための法制定を求めるというものです。
そこで、学校教育における手話言語について、伺います。
現在、区立の小学校、中学校の通常学級、特別支援学級で手話を学ぶ、あるいは手話が言語であることを学ぶ機会があるかどうか。現状を伺います。
〈教育振興部副参事〉
小中学校の学習指導要領には、手話の学習は記載されておりません。したがいまして、基本的には教科で手話を学習することはございません。
総合的な学習の時間におきまして、いくつかの例示されている内容のうち、福祉の内容にした場合に手話を取り上げることはありまして、意義や実技を学習することはございます。
〈かとうぎ桜子〉
日本に生まれ育って、日本語を使って生活していると、言語についてなかなか認識しづらい部分があると思いますが、言語はそれを用いて情報を得て、他の人とコミュニケーションをするツールであることはもちろんのこと、思考し、アイデンティティを築くのにとても重要なものです。
例えば、私は日本で生まれ育っているので、夢を見たり、ひとり言を言ったり、考え事をしたりするのも日本語でしてますけれども、英語が母語の人は英語で、手話を母語とするろう者は手話で考え事をしていると思います。
その人が母語とする言語を言語として保障することは、基本的人権にかかわるものと言えます。
ろう者が手話言語法や手話言語条例を求める背景には、ろう者や手話が長く差別されて、低く見られてきたこと。ろう学校でも、長く手話は日本語の習得を妨げると言われ、手話を学び、手話で考え、コミュニケーションする権利が侵害されてきて歴史があります。
現在は、ろう者が手話を用いた上で、日本語を学ぶことが有効であることもわかり、ろう学校では手話が禁じられることはなくなってきていますが、それは当事者の運動によるものです。
一方で、現在、ろう学校の生徒数は減少傾向で、以前は区内にも石神井ろう学校がありましたが、統廃合により現在は区内にろう学校はありません。
理由は、少子化などさまざまあると思いますが、一つには、人工内耳や補聴器の活用で、ろう学校ではなく地元の学校への進学が考えられると思います。また、地域の学校では、中途失聴への対応も考慮に入れる必要があると思います。
音声言語ではない手話という言語で学ぶ機会を保障することは、手話で学ぶ機会の侵害という過ちを繰り返さないために、区立の小中学校でも考えていかなければならない課題であると思います。
また、手話が言語として保障されなければならないことについて、聴覚に障害のない子どもたちへの理解促進をしていくことも必要です。
そうした点で、より積極的に手話や手話を言語として用いる人に対する理解促進を、学校教育の場で実施していくべきと考えますが、区の方針を伺います。
〈教育振興部副参事〉
あらゆる機会を通じて、そういったことを実践していくことにしております。
〈かとうぎ桜子〉
手話が、以前に比べたら社会の中で広く受け止められてきていると思いますが、まだまだ日本語を補充する程度に捉えられがちなのではないかと思います。
手話を独立した言語として、捉えていくことが必要だと考えます。
手話言語法を求める当事者の置かれてきた歴史的な背景を踏まえて、区としての取り組み、学校教育における取り組みをもっと積極的に進めていただきたいと思います。
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地域の小中学校で、手話はどのように取り扱われているのだろうか、と思い、教育委員会事務局と個別に話をした段階で、正直「やる気がないんだな」という疑問を、怒りとともに強く感じました。
その姿勢は議事録の、ほとんど中身のない答弁を見てもわかるかと思います。
学校教育とは、児童生徒に対して「自ら考える人に育て」と言いながら、教育施策に関しては国から言われていなければ何も手立てを持たない、問題意識さえ持たないものなんでしょうか。
聴覚障害のある子が、そのアイデンティティをはぐくむにあたり、かつての学校教育の中でおこなわれてきた過ちを考えれば、学校において手話をどのように取り扱うかはもっと真剣に考える責任があると思います。
このときの議会に傍聴に来てくださった区民の方が、「ヴァンサンへの手紙」という映画を勧めてくださいました。「これは、加藤木さんが議会で言おうとしていたところと重なるテーマの映画ではないか」ということで。こちら
見に行ってきましたが、とても良い映画です。フランスの映画ですが、日本のろう者を取り巻く環境と共通する部分も大きいと思います。口話教育中心で、手話を否定されてきた歴史。その中で心の奥深くに悩みを抱える人も多いこと。手話を中心とした教育の取り組みのこと。そして人工内耳や補聴器との関係など。
私自身、ろう者を取り巻く歴史について、日本のことも世界のことももっと学ばなければならないと思いました。
ぜひ練馬区の教育関係の方にも見ていただけたらいい映画だと思います。