2012年度決算は、一般会計、国民健康保険、介護保険、後期高齢者医療会計に反対をすることとし、同じ会派の他の議員さんが指摘した内容も踏まえながら反対理由について以下のように述べましたのでご紹介します。

こちら のページ、平成25年第3回定例会10月16日の「決算特 討論・採決」をクリックすると動画も見られます。

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生活者ネット・市民の声・ふくしフォーラムを代表して、議案第90号2012年度練馬区一般会計歳入歳出決算、第91号2012年度練馬区国民健康保険事業会計歳入歳出決算、第92号2012年度練馬区介護保険会計歳入歳出決算、第93号2012年度練馬区後期高齢者医療会計歳入歳出決算に反対の立場で討論をします。

区において続けられている厳しい人員削減によって、職場環境が悪化し、住民サービスの低下が起こっているのに、それに対する十分な対策が行われていないため、困窮している区民に支援が行き届いていないことが、反対の主な理由です。

労働時間が正規職員とほとんど変わらない非常勤職員が400人以上になっています。非常勤が増加することは、働く人の生活の安定という点においても、将来の見通しを立ててスキルアップを図りより質の高い住民サービスの提供をしていくという点からも適切とは言えません。最近相次いでいる個人情報の紛失や金銭管理に関わる不祥事も、職場環境の悪化を背景に起こっていると考えられます。
せっかくの有能な人材が流出してしまい、区に残らないということも起こり得ます。
こうした課題に対して、区は非常勤に関しては機械的な雇いどめをせず、正規職員への道をひらくなど対策をとるべきです。

また、職場環境の悪化により、職員の自殺による死亡退職が続いていることも大きな問題です。メンタルケアの対応充実など、環境改善を早急に進めなければなりません。

このような、区職員をとりまく環境の悪化は当然、区民にとっても悪影響を及ぼします。たとえば保健師がたった52人で年間合計7万9900件に及ぶ相談を受けている状況では、一つ一つのケースに十分丁寧な対応をすることは困難です。

ひとりひとりの区民の声に十分耳を傾けることができていないということは、災害対策や福祉の施策にもあらわれています。たとえば、震災対策の中で、福祉的ケアを必要とする人のための体制づくりが遅れています。
必ずしも十分なバリアフリー化がされていない一般の避難所で、障害のある方や介護の必要な高齢の方が避難生活を続けることは困難な場合があります。実際、東日本大震災の際にも障害のある方などへの支援が十分に行きとどかなかったという課題が指摘されているところです。

いざ災害が起こった時にこうした方々が少しでも辛い思いをせずに済むようにするためには、東京で大きな災害が起きていない今の段階で早急に福祉避難所のマニュアル等の整備、避難拠点との連携を進めるべきですが、東日本大震災から2年7ヶ月を経てもなお、ほとんど進んでいません。練馬区は東日本大震災から何も教訓を得ていないのかと、疑問を感じます。一刻も早く対策をとるべきです。

また、障害のある人が暮らすグループホーム・ケアホームについても、ひとりひとりの当事者・家族の日々の声に耳を傾ける姿勢が十分に見られません。障害者基礎調査は統計的に有効性のある数字として障害者手帳所持者の1割を目安に実施するとのことですが、ひとりひとりの障害の状態や置かれた環境の違いに目を向けることなく、全体を「統計」として捉えようとする区の姿勢には疑問を感じます。

介護制度に関しても、現在国が、要支援を介護給付から外そうとするなど、当事者を見ない制度設計をしようとしていますので、区として利用者の実態を捉えて積極的に声をあげていくべきですが、国に従うばかりの姿勢を示しているのはなぜなのでしょうか。

国民健康保険滞納者に対する対応も、差し押さえや短期証・資格証の発行などの対応が中心になっており、その方がなぜ滞納にいたってしまったのか、生活全般を立て直していく支援の視点が足りません。

生活保護についてはバッシングが収まらず、それに乗じて国は生活保護基準の引き下げや生活保護法改定を進めようとしています。生活保護基準の引き下げは、この社会の「健康で文化的な最低限度の生活」の基準にも影響します。安易な切り下げは許されません。
また、「健康で文化的な最低限度の生活」は、人間らしい生活を自ら組み立てていくべきものです。他者から「最低の生活」を押し付けられるべきではありません。日常的に生活困窮状態にある当事者に向き合っている区として、切り下げに向かって進もうとする現在の国の動きをそのまま受け入れる姿勢は許されません。区として、感情的なバッシングの声に流されることなく、生活困窮者への対応をしっかりおこなうという毅然とした姿勢を示すべきです。

区にはもっと、ひとりひとりの生活の声に耳を傾けた真摯な対応をすることを求め、反対討論とします。