Weフォーラムの報告は今回で最後になります。

8月10日の午前中は分科会に分かれて活動をしました。

私は「のさり~杉本栄子の遺言」という映画の上映とトークの企画の分科会に参加しました。
これは、水俣に住んでいて、ご自身も水俣病の症状に苦しんだ経験を持つ杉本栄子さんが、語り部として活動する様子を追ったドキュメンタリー映画でした。(栄子さんは2008年にお亡くなりになっています。)

栄子さんのお母さんにまず水俣病の症状が出て病院に連れて行ったあと、杉本さんのお家は近所の人から「なぜ病院になんて行ったのか、この地域から出ていけ」とつらく当たられてしまう経験をされたそうです。それまで優しかった人たちの態度が急に変わる経験をして、とてもつらい思いをしたのですが、お父さんから「病気のことは、のさりと思え」と言われたと。

「のさり」はこの地域で使う言葉で、「授かりもの」というような意味のようです。豊漁だった時に「のさった」というように使うそうで。
つまり栄子さんはお父さんから、つらい経験も授かりものだと思えと言われたということです。

すぐには意味が分からなかったという栄子さんですが、映画の中では大好きな海を紹介し、地域のこどもに水俣のことや病気のことなどを話す姿が見られます。
とてもつらい経験をしても、本当に水俣の自然、水俣の海が好きなんだと感じさせられる姿でした。

映画のあとは参加者同士で話し合いましたが、映像に出てくる水俣の自然の美しさ、つらい経験をへた後に営まれる日常の様子などに参加者の多くが感じるもののあったひと時だったと思います。

私はちょうどたまたま5月に東京で栄子さんの息子さんの肇さんのお話を伺う機会があったので、その時のことも思い出していました。(こちら にその時のことが書いてあります。)

映画の時の栄子さんは活発に講演活動などをされていますが、肇さんのお話によれば、肇さんたちがまだ小さいときは体調が悪いことも多かった様子。
こどもにとって、親が辛い思いをしている、病気で苦しんでいるというのはとてもつらい経験だと思います。5月に息子さんの話、8月にお母さんの話を別々な場面で聞く機会を得て、当事者の視点と、それを見守る家族の視点はやっぱり少し違うものだということを改めて感じる経験でもありました。
その一方で、こどもの頃はお母さんが体調が悪いことにすごく心を痛め、こどもの立場としてもつらい思いを感じていた肇さんが、今は亡きお母さんの代わりに水俣の語り部として活動されていることも感慨深く思います。

福島と水俣の置かれた環境で重なる部分は多くありますが、浜通りで活動する人が「自分のこどもにとって、福島が誇りに思えるふるさとになってほしいという思いで活動しているのだ」とおっしゃっていたことと、栄子さんの活動、肇さんの思いにも重なる部分があるように思いました。

「Weフォーラム」は来年は水俣でやることに決定したそうです。ぜひまた私も行きたいなと思います。