★札幌から小樽への移動はバスでしたが、「右側に座ると海がよく見えますよ」と札幌市の人が教えてくださった。
だから「右側、右側・・・」と呟きながらバスに乗ったにも関わらず、なぜか左側に座ってしまった・・・。なんで言ったそばから忘れるんだろうか・・・。自分で自分の行動にビックリしました。とほほ。

バスが出発する前にハタと気づいたので、無事右側に移動できましたけどね(^^;

空は曇りで、低い位置まで雲が迫っているような中の海を見ました。暗い空と果てしなく続く海を見ていると、どこか違う世界に引っ張り込まれそうな不安を感じてしまうようでした。

★小樽には運河があって、観光地になっている。
たしか私のひいばあちゃんだったか、ひいじいちゃんだったかが小樽の出身なんですが。・・・あれ?祖母だったかもしれない・・・

その景観を保護するための工夫についてのお話を聞いたのですが、私が関心を持ったのは、「小樽運河論争」というものでした。

小樽はかつて札幌と並ぶ大都市だったんだそうです。

それがある時期、急速に衰退し、都市機能はすべて札幌に移行されてしまったんだとか。それで、小樽にはかつての街並みがそのまま取り残されて、時間が止まったような状態になったそうで。

そういえば私が小さい頃に、祖母が「小樽は昔、ニシン御殿というのがあって栄えていたのに寂れてしまって・・・」という話をしていたことがあったなあ・・・と思い出しました。
(ってことはやはり小樽は祖母の出身地か・・・)

戦争で焼けなかったこともあって、古い建物はずっと残っていて・・・だけどその街の良さに、住民はなかなか気づかない。
自分の街の良さなんて、なかなか気づけないもんですよね。

少しでもまちを活性化させるために、すでに使わなくなってしまっている運河を埋めて、道路にするという都市計画が立てられた。

だんだんと工事が進むんだけれど、それでも住民は気づかない。

ところが、あるとき、古くからある倉庫群が取り壊された。そこで、住民が「あれ?これでいいんだろうか」と気づいた。そして、そこで初めて、運河も埋められてしまうということにも気づく。

本当にそれで良いんだろうか・・・ということで市民の運動が始まる。

しかし、すでに都市計画決定がされて工事も進んでいるんだから、容易に変更はきかない。

そんな状況で10年ほどの論争が展開され、全国的にも注目され始めた。
最終的には折衷案として、道路を作りつつも可能な限りの運河を残し、周りの古い建物も残すことに落ち着いたんだとか。

これが小樽の「市民との協働」のはじまりでもあるし、当時関わっていた方が今でも市民活動として小樽のまちづくりに関わっているんだとか。


小樽は古い街並みが残る条件がいくつかあったから、社会全体から注目されたのだとは思いますが、でも、「そこに住む人がそのまちの魅力に気づかないまま、『地域の個性』を失う危機にぶつかる」ということはどの街にもあることではないかと思います。

私は札幌と同様、小樽にも大学生の時に遊びに行ったことがありましたが、こんな運河論争の話を聞くと、ただ観光で見たときには感じられなかった魅力を感じることができました。
個性的な街並みの素敵さだけではなくて、それを守った市民の力を思うと・・・。


小樽ほどまでに個性がはっきりしていることはなくても、その土地その土地の良さは本来はどこでも持っているはずのものなんだと思います。
そこにしかない風景。そこにしかない食べ物。文化。個性のある住民。街ができてきた歴史。

その土地の個性に、まずはそこに住む人自身が気づき、大事にしていくことができたらいいですね。
前回のブログで書いた「グローバリゼーション」とは対極にあるような、地域のあり方であると思いました。

小樽運河論争については、調べてみたら詳細を紹介しているサイトがありましたので、ご紹介。(こちら

とても興味深いので、もう少し調べてまた改めて取り上げたいと思います。
(今、私の事務所には読まなくちゃいけない本がうずたかく積み上げられていますので、しばらく後になるとは思いますが。。)


以上、視察の報告、おしまい。

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