東京は2週連続の大雪になってしまいましたね。

私は今日はヘルパーの仕事とボランティアに出かける予定だったけれど、バスも運休していて大泉の駅までも出られず、利用者さんやボランティア先にご了解いただいて外出を断念。

先週の雪よりも水分を含んで固まりやすそうな雪…今日はこれを片付けることに専念しようと自宅に戻り、雪かき開始。


雪かきって、ボランティア活動とか政治とか、そういう社会的な活動をするときと似ているなあ…としみじみ思いながら雪をかきました。

動機は、「自分自身が使う場所が少しでも良くなったら自分も快適になるし、同じ場所を使う他の人も快適になるだろう」と考えるところから始まる。
でも、あまりにも膨大な量に圧倒される。私一人がこの雪をかいても、街全体の多量な雪を全部片付けることはできないという絶望感を持つ。
そして、自分が始めた途端に、「なんで私はやってるのにほかの人は協力してくれないんだろう」という狭量な気持ちも芽生えたりする…(^^;

だけど、自分だって今日は用事ができなくなったから雪かきの時間が取れただけで、やらない人にはやれない事情があるんだと理解しなければいけないし、自分以外の人の行為を責めたところで何も状況は変わらない。
私に出来ることは目の前の雪を片付けることしかないわけで、最初は1㎡の小さな場所しかできていなかったのが、続けていけば一連の道がきれいになるのだという達成感とを感じられるようになると、だんだん楽しくなってくる。


例えば選挙なんかも同じで、今回の都知事選について一生懸命「都政を変えたい」と考えていると、なんで投票に行かない人がいるんだ、とか、なんで舛添さんに入れる人がいるんだ、とか思っちゃうけど、でもそうやって自分と違う行動をする人を責めてるだけでは世の中は変わらないわけで、自分にできる行動をすることで共感を広げていく方法を考えなくちゃいけないんだよなー、と。


そんなことを考えながら、私の住んでいる集合住宅の玄関周りと前の道を雪かきしていました。

ひとりでぽつぽつと雪かきを2時間。

それにしても同じ集合住宅に住んでいる人は他には誰も出てこない。
近隣の戸建ての家の人たちはみんな家の前をかいているけれど、賃貸の集合住宅に住んでいるとあんまり周りをきれいにするのに関心がないものなのかなあ…。

集合住宅の敷地内に駐車場があって、そこも雪がいっぱい。
これもある程度かいておかないと、これから1週間は車が使えなくなるんじゃないかという状況。

しかし、日頃の運動不足がたたって、その時点で私はすでにヘトヘト。
私の頭の中に、「加藤木は、体力の限界だった―」という田口トモロヲのナレーションが流れました(´・ω・`)

もうだめだ、車はしばらく使うのを諦めることにして、もう今日は雪かきやめよう…と思っていたところに、お隣に住んでいる人が顔を出して、「今から手伝いに行きますよ」と言ってくれた。

「車が出せる程度に、かいちゃいましょうね」と話しながらやっていたら、ほかにも2軒ほどのおうちの人が出てきて、一緒にかきはじめた。


おかげで、絶望的な状態だった駐車場も、だいぶ車が動かせる程度にきれいになったヽ(*´∀`)ノ

みんなが出てきてくれてから2時間。

私は結局合計4時間雪かきして、体が痛いけど、でも周辺の道や敷地はだいぶ雪かきできたし、一生懸命やってたら協力してくれる人が増えてきたのも、なんだか嬉しい経験でした。