ブログを訪れてくださり、ありがとうございます!

このブログでは、

◆障害児が生まれても絶望しない世の中にする
◆親には親の人生、子どもには子どもの人生があることが当たり前の世の中にする

ため、私が動いているいろいろなプロジェクトについて紹介していきます!

また、"障害児"と呼ばれる娘マコの日常を発信することで、

『なーんだ、普通の子ども(人間)じゃん!』

とブログをみてくださる方の心がバリアフリーになったら最高です!





最近、友だちとの会話で思うところがあったので書き留めます。





もしも、



もしも、




出産前に、




  これから生まれてくるあなたの子どもの障害の有無




を選ぶフォームがあったとしたら…




もしも、




選ぶ余地があるなら、




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" 障害は無し" でお願いします…!





と、わたしは答えると思う。




何故なら、かわいい子どもにわざわざ大変だと分かる道を与えたいと思わないから。




子どもが自分で大変な道を選ぶのは、頑張れ!と思うけども。




何故、こんなことを考えたかというと、




世の中にはいろんな方法の、




事実の受け止め方





があるなーと思ったから。





マコの病気が分かったとき、




私が最初に出会った『事実の受け止め方』その①は、



病院の掲示板に貼ってあった、詩。




天国の特別な子ども 
エドナ・マシミラ作 (大江祐子訳)


会議が開かれました。

           
地球からはるか遠くで

       “また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”

   天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました。

  “この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。

   この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。

     もしかして 一人前になれないかもしれません。
だから この子は下界で会う人々にとくに気をつけてもらわなければならないのです。

もしかして この子の思うことはなかなか分かってもらえないかもしれません。
何をやっても うまくいかないかもしれません。
ですから私たちは この子がどこに生まれるか注意深く選ばなければならないのです。

 
この子の生涯が しあわせなものとなるように


どうぞ神様
この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。


神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。


その二人は すぐには気がつかないかもしれません。

 
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。


けれども 天から授けられたこの子によってますます強い信仰をより豊かな愛をいだくようになることでしょう。


やがて二人は 自分たちに与えられた特別の神の思し召しをさとるようになるでしょう。
 神からおくられたこの子を育てることによって。

 
柔和でおだやかな二人の尊い授かりものこそ天から授かった特別な子どもなのです”




最初、読んだときの、わたしの素直な感想は、




サムネイル
 

ふざけんな。わたしは特別な役割を求めてないし、そんな器でもない。
こんなキレイゴト、全然響かないわ。





↑まぁ、愛する我が子の難病を宣告されたばかりで、そんなすぐに受容できないわな。



これ以外にも、



子どもはあなたを選んで産まれてきた





とか、




つい最近知ったのは『勇者の石』の話しとか。

▼詳細はこちらをごらんください💁‍♀️



どれも私は批判する気はこれっぽっちもない。




何故なら、




事実の受け止め方は人それぞれ




だと思うし、



いろんな考え方があっていい





と思うから。





私の場合、




マコが治療法のない進行性の難病






だという事実をどう受け止めたかというと、





考え方というよりは、





とにかくマコ自身が悲壮感ゼロで、





こんな「自由な人みたことない!」と思うくらい、




彼女は人生も人との関わりも楽しんでいるので、




障害や病気を受け止める、というより、




マコはマコだよな。




という当たり前のことがスタンダードになっている感じ。





↑じぃじに髪型が似てるってだけで、すぐに懐く(笑)




冒頭で選ぶなら「障害は無しで!」と答えたのは、





まだまだこの日本という国は、





知的・身体的な障害があると、





健常児だと難なく与えられる選択肢に対して、




本人、もしくは家族がいちいち『がんばる』必要があるから。




衣食住、遊び、教育、生きていくこと全般で。





ぶっちゃけ、




がんばらなくていいのなら、がんばりたくないさ。




でもさ、




目の前に『障害』という揺るぎない事実があるなら、



そして、この先その事実と生きるのなら、




せっかくなら、




前向きな捉え方、考え方、をした方がいいよね、




と言うだけの話。










事実をどう捉えるかで、全く別の生き方になる。




そう、痛感するわたしは尚更、




せっかくならいい感じに解釈しよう!




と脳が働くのだろう。




一人一人がしっくりくる解釈方法を自ら探して、




事実を受け止めて生きていく。





それをすることで、わたし自身は、




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マコのおかげで出会えた方々がたくさんいて、いろんな経験ができている。
人は一人で生きているのではない!と日々体現してくれている。
社会側にある障害に気づいたら、ポップに攻略しちゃおう!
なんなら、一つ一つの障害を私が生きている間に仲間と攻略して、いっそのこと『障害児が生まれても絶望しない世の中』にしちゃえばいいじゃないか!
ん?社会側の障害がなくなったら、もしかしたら、『障害児』という言葉すらいらなくなるかも!





みたいに、病気や障害という事実に対して前向きな姿勢をとっているのだと思うのです。





絶望から希望への細かな心の移り変わりのグラデーションについて、本に書きました。




どんな捉え方をするか。




誰にでも、いつだって選択肢は残されている。




どう生きたいか、どう在りたいか、




日々、自問自答してます。









てな感じで、まじめに終わらせればいいのに、




どーしてもこのままだとオチがないんじゃないかと勝手にムズムズするので、




こんなエピソードを紹介して締めたいと思いますw




  子どもの方が、事実を事実として、シンプルに受け止めるのが上手なんじゃないか?!




と長女が保育園時代に書いた手紙をみて痛感してます。



ぺぺへ(パパへ)

いつもおかしたべてるね。


※お菓子ばっかり食べて太るわよ!とか余計な口出しは一切ない、事実の提示(笑)



たまに、事実を受け止めた上で、




こんな教えを諭してくれた長女の手紙がこちらです💁‍♀️




たがいにへいわにすごしなさい


※カトリック系の保育園だったため、耳で聞いて覚えた文章を、小競り合いしていたパパと私宛にくれた(笑)






さすが、さとり世代。










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