739.常人は 秋霜烈日 耐えられぬ とは言え歴史 勝手に書くか

 

 マスコミが「歴史認識」という言葉に触れると、筆者は即反応する。

 4月22日、ソウルに住む黒田勝弘氏が歴史検証の観点から西大門独立公園を取り上げた1

 筆者は大学時代より5回ほど韓国を訪れた。ソウルの南大門市場で買い物をしたが、西大門には行っていない。とは言え、なでしこアクションに関わっているので、1919年の3.1独立運動についての知識は多少ある。暴動に発展した2週間ほどの間に朝鮮人や日本人にも死傷者が出て多くの人が逮捕された。

 後に「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、懲役3年の有罪判決を受けた柳寛順(17)が、同年9月に西大門刑務所で獄死したことも知っている。しかしここでは触れない。日韓が主張する人数や柳寛順の死因に大きな齟齬があるからである。

 元に戻る。黒田氏が触れた歴史検証とは、朝鮮日報の朴鐘仁記者が4月13日付けで書いた記事🖊のこと。同公園にある殉国先烈追念塔には8つの主題を冠したレリーフがある。その1つ(抗日義兵の処刑)は数人の男が後ろ手に縛られ、首を括られて丸太にぶら下げられているもの。これは国史編纂委員会が抗日運動の資料にしている写真📷を基にしている。

 

 レリーフ(一部):『朝鮮日報』コラムより2

 

 朴記者によると、同写真はフランス武官が書いた1908年の本に収録されていたもので、3.1独立運動で日本によって虐殺された人達ではない。彼は4月13日に投稿した動画サイトでもそれを説明している2

 

 “Petit Jap deviendra grand”(Berger Levrault、Paris、1908)p.75 by Léo Byram, French military and author (1872-1915)

 

 筆者はレリーフもその経緯も知らなかった。その動画サイトによると、首を括られて丸太にぶら下げられた男達は1904年3月15日に大韓帝国によって処刑された強盗犯と窃盗犯らしい。

 さて、日本の検察官の記章は「秋霜烈日バッジ」とも呼ばれている。秋霜烈日とは秋に降りる霜と夏の厳しい日差しのことで、刑罰や志操の厳しさに例えられる。歴史とは「魚心あれば水心」で残すものか、それとも秋霜烈日に耐えるものか。

 いずれにしても、黒田氏が書いたように朴記者の勇気には頭が下がる。とは言え、彼が政府や民間機関や個人から名誉棄損で訴えられないことを祈る。

 

[出典1 2024年4月22日付け産経新聞『勇気ある歴史の検証』黒田勝弘・客員論説委員]

[出典2  http://daishi100.cocolog-nifty.com › blog › 2024/04

【朝鮮日報】なぜ雑犯の処刑写真が殉国烈士追悼塔「義兵処刑 ...」2024/04/14(参照 2024-4-23)]