733.忖度の 基準は何?と ネコが問う 人間ならば 理性と答えろ 

 

 安倍内閣だった7年前の2017年2月と3月、国会がモリカケ問題を取り上げた。友学園については国有地の払下げ価格が問題になり、加計学園の場合は獣医学部新設の可否が問われた。

 この時脚光を浴びたのが忖度という言葉。払下げや認可の過程で関係省庁が政治家の意向を忖度したと疑われた。

 産経の小川紀代子編集委員は、《忖度は他人の気持ちを推し量ることを指すとし、子供の頃から、学校でもどこでも「人の気持ちになって考えよう」と言われてきた身としては、褒められるべき心掛けと受け止めるが、世間ではそうはならない》と書く1

 大阪公立大学の橋本博文准教授は、「忖度できるから、我々人間は社会を作ることができます。他の動物は人間ほどに忖度できません」と話す1

 動物が出たので拙宅の翔ちゃん🐱とアリスちゃん🐈に触れる。筆者が、「ご飯🍚ですよ」と言ってお皿を2つ置く。自分達に近い方の皿を選ぶからだろうが、2人は同じ皿から食べようとする。やや深い皿の内径は10㎝ほどなので、翔ちゃんが最初の皿で食べ始めてからアリスちゃんはもう1つの皿に向かう。

 同じようなことは筆者が玄関前でラジオ体操を終えた時に起こる。外に出ている2人に、「パパは新聞📰を買いに行きます」と声を掛ける。すると2人は競って玄関に向かう。ストッパーを置いた玄関ドアの隙間は15㎝くらいなので、2人は往々にして衝突しそうになる。

 つまり猫の場合、仲良く一緒に寝るが、お互いを忖度しないことが多い。

 さて、人間の場合、欲望は猫と同じ筈。その欲望を満たしたいなら、学んできた理性を働かせなければならない。換言すると、忖度の前提は法の遵守である。

 

[出典1 2024年4月16日付け産経新聞『令和社会学』「忖度 時には思ったことを言おう」小川紀代子]