697.鯛ならば ウロコを取って 調理する ポンペイ遺跡 目からウロコが

 

 3月30日、1986年放送開始のTBS📺のクイズ番組『日立 世界・ふしぎ発見!』(Discovery of the World's Mysteries、土曜午後9時)が幕を閉じる。

 筆者は若い頃から独りで韓国、インド、米国、ギリシャを、その後は家族と韓国、中国、台湾、ハワイ、トルコ、イタリア、ドイツ、フランス、スイスなどを旅行✈した。退職後は海外旅行をしていないが、その穴埋めのため月に1度か2度は同番組を視聴している。

 3月9日のテーマはイタリアのポンペイ遺跡。筆者は2つ感銘を受けた。

 1つは、初めて聞いたプリニウスのこと。彼は全37巻の百科全書『博物誌』を遺している。紀元79年、ヴェスビオ火山が爆発した🌋。彼は海軍部隊司令官として救助活動をすると同時に、博物学者として現地を視察するために出航⚓した。ポンペイから約10㎞西南のスタビアエに上陸したが、噴煙で斃れた(56歳?誕生日は不明)。軍人としての責任、学者としての探求心が危険を冒させたのだろう。

 2つ目は、遺跡で復元された石膏像のこと。ヴェスビオ火山は噴火後に標高が3,000mから1,200mになった。激しい爆発によりポンペイなどは高さ6mもの火砕流と降灰で埋め尽くされた。18世紀半ばから発掘が始まったが、住居跡には数多くの空洞ができていた。その空洞とは焼失させられた市民👤や馬🐎や犬🐕などの遺体部分や木製家具だった。

 石膏像とは当時の誰かが芸術娯楽のために作ったものではない。考古学者が見付けた空洞に石膏を流し込み、市民らの最期の姿を復元したもの。ここで筆者が驚愕したのは木製ベッドまでが石膏で蘇ったことである。それを見ると、木枠の年輪だけでなく、ベッドに使った紐まで分かる。

 学者は空洞を見て実物を再現したのだが、その発想で筆者の目からウロコが落ちた。尚、火砕流がどれだけ高熱だったかは想像したくもない。

 さて、プリニウスの時代、物を書き残すには大変な労力を要した。先ず蠟板に字を書き、それをパピルスに書き写した✏。古代ローマ人は脳細胞から生まれる感情と思想とを指先👉に伝えた。それが人知として人類に貢献した。

 現下の状況はどうか。口先👄だけで人知も命も踏みにじる輩が多い。