689.桜さん 何も言わずに 枝広げ 年々歳々 皆がほっこり

 

 拙宅近くの公園ではここ2週間ほど2本の河津桜🌸が満開だった。既に散り始めているが、写真を撮る人をよく見掛ける。まだ少ない緑の葉が写らないようにスマホ📱を傾けている。

 河津桜の花はソメイヨシノより色が濃い。だから見た目は豪華である。豪華と言えば、筆者も観た京都智積院の長谷川久蔵(等伯の息子)が描いた国宝『桜図』は煌(きら)びやか。但し花は白っぽい。尚、等伯は能登七尾出身。

 青空の下で桜を見ていると、何とはなしに晴れやかでホッとする。目が虜(とりこ)になるからか他のことは何も考えない。木全体が脳に、「見るだけでいいのですよ」と語り掛けている。

 先日のブログに河津桜と沈丁花の写真を添付した。カバーはフキノトウ。米国勤務の友人Wがそれを見て、「和んだ」と言ってくれた。

 Wのメールにはオマケがあった。筆者は知らなかったが、フキノトウ(Fukino10)という2人組のアーティストがいる。Wの青春時代の1場面を彩ったのだろう。彼らが歌う『春雷』の歌詞(春の雷に白い花が散り、桜 花吹雪 風に消えていく)まで引用していた。

 「オオッ」と驚いた。何と、フキノトウと桜が結び付いたからだ。検索すると『春雷』では、突然の雷⚡と雨⛈で濡れながらも風に散る花吹雪に「散るな」と呼び掛けている。「肩組んで涙ぐんで別れたあいつ」のことを偲んでもいる。

 花と言えば唐の時代の劉廷芝が『代悲白頭翁』を詠んだ。

 

 ……

 年年歳歳花相似 (年年歳歳 花相似たり)

 歳歳年年人不同 (歳歳年年 人同じからず)

 ……

 此翁白頭眞可憐 (此の翁の白頭 眞に憐れむ可し)

 ……

 惟有黄昏鳥雀悲 (惟黄昏鳥雀 悲しむ有るのみ)(注 黄昏はたそがれ)

 

さて、筆者が先日及び本日のブログで強調するのは「咲く」。『春雷』が描く雷雨と別れや『代悲白頭翁』が憂(うれ)いながら振り返る若き日のことではない。一応断って置く。