682.ピンと来て ポンと打ち出す 球だけど 転がる方向 ちょっと違うな

 

 1.5-11、8-11、4-11

 2.6-11、11-8、11-9、14-12

 3.11-8、13-11、12-10

 4.3-11、7-11、6-11

 5.11-4、7-11、8-11、7-11

 これは何の数字か。

 世界卓球🏓2024女子👩団体戦〈2月16日~25日/韓国・釜山〉の決勝戦結果である。日本は2対3で中国に敗れた。日本は5大会連続で決勝戦を中国と戦ったが銀メダル🥈だった。

 2月23日、同大会準決勝は夕食後の時間だったので筆者は観戦した。対戦相手は前日に台湾(世界ランク4位)を3対2で下した香港(同6位)。結果は3対0。日本選手は危なげなく快勝したので筆者はゲームが終わる毎にカメラ📹が追う各選手の動きに注目していない。「水を飲んでいるな」くらいの印象だけだった。

 24日の決勝戦も観た。出場したのは張本美和、早田ひな、平野美宇、早田、張本の順。この時は何故かゲームが終わる都度、ベンチの戻る各選手に目を遣った。日本側だけでなく中国側にも。

 1つ違いに気付いた。日本の監督は無言🤐。控えている選手らが本人としきりに何か話している。本人が頷く仕草もある。中国ベンチでは監督だけが本人に話し掛けている。

 この差は何なのだろうか。

 日本側の雰囲気は和気藹々。中国側の様子は指導。双方共に相手選手の動きを分析しているに違いない。筆者はスポーツと言いながらもそこに国の体制の違いを見るような気がした。中国側ベンチで控えている選手は無表情だったし、監督と本人との遣り取りに耳を傾ける素振りもなかった。

 さて、パリ五輪の日本女子代表は早田と平野と張本。先輩2人は23歳だが、張本は15歳。決勝の第5回戦で中国側に一矢🏹報いたことを糧とし、経験を積み、多くの人と出逢って欲しい。

 捕捉:筆者の卓球に関する知識は1つ、体験は1度。知識とは毛沢東時代が終わる前の1971年、第31回世界卓球選手権が名古屋市で開催され、その後米国が中国チームを自国に招待し、所謂ピンポン外交が始まったこと。以後中国は西側諸国と活発に接触した。

 体験は1974年か75年。当時付き合っていた女性と広島で初めて卓球をした。彼女は高校まで卓球部にいたので、ゲームではなく初心者講習だった。