675.マルハラは パワハラに似て やや違う 時流に乗れば 思考停止だ

 

 「マルハラ」とはマルハラスメントの省略語。

 2月13日から15日に掛けてテレビ📺・ラジオ📻がマルハラを話題にした。筆者は知らなかったが、ℤ世代の若者はSNSの文章の末尾に句点(。)を付けない。句点を付けた文章を上司から受け取ると、「怒っている😠」と解釈するらしい。彼らは末尾を空白にするか、絵文字を足す。

 字を学び始めた小学校低学年、文章には句読点を付けると教えられた。例外は文章の項立てや新聞📰の見出しなど。長い文章だと読点は必須。それで意味が通り易くなり読み易くもなる。

 筆者はマルハラなど論外だと考えるが、歌人の俵万智が詠んだ歌1に納得。

 

 「優しさにひとつ気がつく ×でなく○で必ず終わる日本語」

 

 ℤ世代に言いたい。現実の世界はSNSの短文だけでは通用しない、と。

 「そうではない」と反論する向きもあろう。例えば結婚式友人代表として挨拶するなら、「素敵」、「羨ましい」、「おめでとう」、「お幸せに」をチャットAIに入力すれば、それなりの文章ができる。そこに個人名などを足せば挨拶文として通用する、と。

 論文とまでは言わないが、葉書でさえ序破急(序論、本論、結論)や起承転結を考えて書く。勿論相手のことを念頭に言葉を吟味する。そうしないと役所から届く無味無臭の通知にしかならず、個性がなくなるからだ。

 さて、個性とは何か。自分が得てきた知見を自分なりに解釈し、自分の行動に反映させ、自分を表現する力だと言える。流行を取り入れるにしても自分の価値観と進取の精神があれば個性は失われない。そう考えると、マルハラは個性云々ではなく、思考力を減じる時流への迎合に過ぎない。

 尚、NHKEテレが頻繁に紹介する英語交流サイトでは皆文章に句点(.)を付けている2

 

[出典1  https://www.itmedia.co.jp › news › articles › news157

“マルハラ”に対して俵万智さんが一句 「句点を打つのも ITmedia(参照 2024-2-15)]

[出典2 [Eテレ] 2024年02月12日 午後3:00 太田光のつぶやき英語 SNSで見る!世界の節約術]