664.倭(やまと)は 国のまほろば 劇場で 国の防衛 主題になるか

 

 2月6日、筆者が夕食下拵えをしていると、テレビ📺が『エンド・オブ・キングダム』(2016年)を放映していた。ジェラルド・バトラーが主演し、英国出張中の米大統領テロから守る。

 架空の大統領が登場する映画は他にもある。『インデペンデンス・デイ』(1996年)、『目撃』(1997年)、『エアフォース・ワン✈』(1997年)、『ホワイトハウス・ダウン』(2013年)など。

 何故米国は折に触れて大統領の危機を描こうとするのか。それは米国民がホワイトハウス(大統領府)に対して抱く威信に関連するような気がする。つまり大統領府は国民に示す威厳と国民が寄せる信頼を象徴する。だから映画は大統領を守るための戦いを描く。『目撃』では大統領の不倫現場で警護官が女を射殺🔫するが、そこで描いたのは大統領の倫理観だ。

 翻って日本はどうか。

 『日本沈没』(1973年)、『金環蝕』(1975年)、『皇帝のいない8月』(1978年)、『ゴジラ』(1984年)では首相が登場する。コメディの『記憶にございません』(2019年)と『総理の夫』(2021年)は首相の理想像を描く。しかしこれらは首相を身の安全を守る対象にしていない。

 この違いを考えた時、40年ほど前に米軍基地で働いていた頃を思い出した。何が話題だったかは忘れたが、或る若い兵士が地元選出の下院議員に手紙✉を書くと言った。自分が1票を投じた議員には彼の意見を聞く義務があると主張したのだ。つまり有権者と議会とが1本の糸で繋がっている。筆者はこの考え方に衝撃を受けた。

 そこでハタと気付いた。日本は江戸時代を経て明治になり現在に至る。将軍や天皇による治世から行政府の主体が内閣へと変わった。その間に「お上」の存在がなくなり威信が薄れた📉。しかも過去30年余りは連立内閣が主体となっている。これでは誰も首相官邸=国家の威信とは見做さない。

 さて、映画は娯楽だが庶民の夢も描く。従って威信を失っている首相官邸を守ることなど映画にはなり得ない。

 蛇足🐍:ロシアや中国で米国のような映画を製作した場合、国民は劇場に足を運ぶだろうか。強制動員という手段が無きにしも非ずだが。