625.世の中は 泪だけだと 辛過ぎる 闇の淵から 溢れた力

 

 「記憶は当てにならない」とは筆者も自覚している。或る事実に対する思い込み(先入観)が記憶を変容させるからである。とは言え、事実に関する本質を理解していればまだ救いがある。事象だけに囚われていると、記憶自体が無意味になる。

 その1例が山口県光市母子殺害事件。1999年、排水検査作業員を装った当時18歳の福田孝行(現大月孝行)が主婦(23)を絞殺後に強姦し、乳児(11カ月)を床に叩きつけ、その上で絞殺した。遺体を押し入れなどに隠し、現金も盗んだ1。筆者の記憶にあるのは同事件の残虐性と猟奇性。筆者は光市からやや離れている岩国市に住んでいたし、そこに妻の実家もあった。それらが記憶の接点だった。

 12月22日、桑原聡氏の『モンテーニュとの対話1を読んだ筆者はハッとした。地裁と高裁が被告を無期懲役にしたにも拘らず、2012年に死刑が確定したからではない。2023年12月7日付けで最高裁が大月死刑囚(39)の特別抗告を棄却したからでもない。それが裁判官5人全員一致の結論だからでもない。

 理由は3つ。

 

 (1)少年法第58条が、無期刑を受けた者を7年で仮釈放することができる❗と定めていること。

 (2)地裁判決後、担当検事が被害者の夫(本村洋氏)に、「この判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。上司が反対しても私は控訴する。司法を変えるために一緒に闘ってくれませんか」と述べたこと。

 (3)後に本村氏と岡村勲弁護士らが「全国犯罪被害者の会」を設立したこと。因みに、岡村氏が旧山一証券の代理人だった時、彼の妻は逆恨みをした顧客に刺殺されている。

 

 事件後に帰宅した本村氏が受けた衝撃は想像を絶する。それ故、少年法第58条の現実を知った彼は、控訴や上告を望まず、「早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」と記者団に語った。

 さて、筆者が上記コラムを読んだのは偶然だったが、そのお陰でこの事件の本質を理解することができた。もう無意味な記憶ではない。

 

[出典1 2023年12月22日付け産経新聞『モンテーニュとの対話』絶望の果てに訪れた「使命」桑原聡]