362.9条に 必勝の文字 書いてない 戦力もなく お辞儀するだけ?

 

 世の中には知らなくてもいいことがある。知ったからと言って、「それが何か問題なの」と聞き返したくなることもある。

 2023年3月24日、参院予算委員会が開かれた1

 立民の石垣議員は、「必勝というのは不適切」と、

 同じく泉代表も、「戦争中の緊迫した国家の元首に必勝しゃもじを送るのは違和感がぬぐえない」と、

 維新の馬場代表も、「お気楽すぎるんじゃないか」と批判した。

 これに対し岸田首相は、「祖国や自由を守るために戦うウクライナの人々の努力に敬意を表した」と答弁した。聞かれれば答えなければならない。

 何のことか。先日のウクライナ訪問時、首相は「必勝」と揮毫したしゃもじ手土産としてゼレンスキー大統領に贈っていた。広島出身の首相が宮島から手に入れたもので、しゃもじには「敵を召し(飯)取る」という寓意がある1。尚、国宝であり、世界遺産にもなっている厳島神社近くではしゃもじを土産として売っている。

 3人の議員が予算委でしゃもじ論議をするのは、〝不適切″でなく、〝違和感″もなく、〝お気楽″でもないことになる。

 西洋にあるチャーム(Charm)も魔除けやお守りで、魔法の力があると信じられている。ペンダント・トップやブレスレットやピン・ブローチとしても使われる。

 筆者が所持するトルコのチャームはナザール・ボンジュウと言い、群青色の丸いガラスの表面は外側が涙滴状の白で、内側の水色の真ん中が黒で、目になっている。この目が邪悪を追い払うと聞き、現地で購入したものである。

 日本には開運や邪気払いのためにだるまや招き猫や鬼瓦がある。神社仏閣で絵馬を買って願を掛けることもある。これらは民間信仰だが、事を成就するための儀式ともなり、願掛けする人の心持ち、心掛けを反映する。

 さて、国政選挙でも地方選でも必勝祈願のだるまなどは有り触れた光景である。そう考えると、呪(まじな)いをマジに〝ない″と否定するのは大人げない。議員然り。

 

[出典1 2023年4月7日付け産経新聞『「しゃもじ論争」が映す平和ボケ』]