52.汚点でも 教科書記載か ロシア兵 ウクライナ兵は 記憶に残る

 

 2022年5月16日、ウクライナ軍は声明で、ロシア軍の包囲下にある南東部マリウポリでの「戦闘任務」を終了し、アゾフスタリ製鉄所に駐留する部隊の指揮官に対し、「隊員の命を救うよう命令した」ことを明らかにした1。そして、「マリウポリの守備隊は我々の時代の英雄であり、永遠に歴史に残るだろう。この中には『アゾフ』特別部隊ウクライナ国家親衛隊第12旅団、第36独立海兵旅団、警察、義勇兵、マリウポリの領土防衛隊が含まれる」と付け加えた。最後まで同製鉄所でロシア軍の攻撃に耐え、かつ反撃した300人弱のウクライナ兵はロシア軍支配下にある病院や町に移送された2。(注 5月19日午前6時現在、投降者数は1,000人近い)

 2本の外電を読んだ筆者は、太平洋戦争中の硫黄島玉砕を思い出した。1945年2月 19日、米海軍の支援を受けた米海兵隊61,000人が硫黄島への上陸を開始した。迎え撃ったのは栗林忠道陸軍中将指揮下の22,000人の陸海軍兵。この戦いは同年3月 26日、栗林中将と海軍部隊指揮官の市丸利之助少将の自決をもって終わった。1カ月半の戦いで、米側の戦死者は 6,891人、負傷者は18,070人。日本側は投降した 212人を除き全員が戦死、或いは自決した3

 同島には標高170mの摺鉢山があるが、この山は岩だらけ。日本兵は低地の雑木林がある場所に1,000カ所もの入り口がある全長11kmの防空壕を掘り、そこから出て米軍と戦った4。筆者は3カ所の入り口を見たが、立ったまま入ることができたのは1カ所だった。2万人を超える日本兵がどう戦ったのかは想像を絶する。

 さて、ロシア軍によるアゾフスタリ製鉄所への攻撃に対し、ウクライナ兵が反撃することが可能だったのは、同製鉄所に地下6階の要塞が建設されていたからである。その面積は11㎢で、診療所カフェや居住空間などが完備され、通常なら最大4,000人を収容できるように水や食料🍞の備蓄があったとされる5。それにしてもアゾフ特別部隊などは2カ月以上もよく持ちこたえた。彼らはウクライナ国民の記憶に厳として残る。

 一方、来年以降に出版されるロシアの小中高等学校の歴史教科書は、斃れたロシア兵の偉業を記述するに違いない。そして彼らの遺族が国家の英雄を追悼した、と。

 『悪魔の辞書📖』を出版したアンブローズ・ビエースは、歴史を、「殆どの場合、取るに足らない出来事をほぼで固めた説明であり、一般的には、ならず者のような為政者や、間抜けだとも言えるような兵士によって作り上げられたもの」だと定義する5。(注 筆者による翻訳)

 子供達への教育とは、歴史であろうとなかろうと、合理的な判断を培うものでなければならない。

 

[出典1 ウクライナ軍、マリウポリでの「戦闘任務」を終了 守備隊救出を命令 5/17(火) 9:23配信 CNN.co.jp(参照 2022-5-17)]

[出典2 マリウポリ製鉄所からウクライナ兵退避開始、捕虜交換へ ロイター 5/17(火) 3:52配信(参照 2022-5-17)]

[出典3 https://kotobank.jp>word>硫黄島の戦い-29946 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(参照 2022-5-17)]

[出典4 https://www.sankei.com> 【激闘の地・硫黄島はいま(上)】壕内は60度を超える暑さ(参照 2022-5-18)]

[出典5 https://ja.wikipedia.org>wiki>アゾフスタリ製鉄所 - Wikipedia(参照 2022-5-17)]

[出典6 Ambrose Bierce, The Devil’s Dictionary, 1958, Dover Publications, Inc. New York; History]