人工知能を使った翻訳システムがだんだんディープラーニングで精度を上げれば、その人工知能に翻訳を任せ、もう英語の勉強が必要はないと言う人も多くいます。英語の勉強はしないで、人工知能に任す事は可能でしょうか。
翻訳や通訳デバイスを使う事で完全に言葉の壁はクリアできるのでしょうか。将来的には英語の勉強は意味のないものになるのでしょうか。
大きな間違い
脳科学者の茂木健一郎氏はPRESIDENTに次のように書いています。
これからの時代における言語スキルのポイントは何か
自由闊達に会話をする能力は、仕事をするうえで、また生きるうえで最も大切なスキルの1つであると言える。日本語でも、英語でも、高いコミュニケーション能力を持つ人は、仕事がやりやすい。
大切なのは、言葉は生きていて、常に変化し続けているということではないか。
先日、米国のニューヨークに拠点を置く出版社の方と話しているときに、印象的な表現を聞いた。
最近、女性の権利向上などの問題を論じるときに用いられるハッシュタグに「#MeToo」がある。ところが、その編集者は、この表現を別の意味で用いた。
「わが社は、自分たちのオリジナルの企画を生み出すことにこだわっている。そりゃあ、たまには、『MeToo』的な出版もするけどね」
つまり、「#MeToo」を「私も同じ」から転じて、「他社の後追い」というような意味で使ったのである。
さすがはネーティブの話者。英語が、いかに柔軟に使われ進化し続けているか、改めてその好例を見る思いがした。
もちろん、英語だけではない。日本語も他の言語も、進化し続けている。
言葉は、生きている。常に、変化し続けている。そして最も大切なことは、言葉を使っているのは「人間」だということだ。
英語も、日本語も、常に変化している
社会の中に人間がいて、お互いに言葉をやりとりしている。1つの表現が流行し、注目を集める。やがて、誰かが少し違った意味でその言葉を使うようになる。ある種の表現は消えていくし、別のものは残る。
イケている表現が、皆が使うようになるとダサくなったりする。ニューヨークの出版社の人のように、世間で流行っている言葉を少し違った意味で使うことで、センスのよさが伝わることもある。
このような言葉の性質を考えると、言語処理が人工知能ですべて置き換わる日は来ないだろうし、またそのようなことを考えても意味がないことがわかる。
例えば、将来、日本語と英語が人工知能によってかなりの精度で翻訳可能になったとする。日本語で話したら、その場で英語に直して発話してくれる。あるいは、英語の文章を正確な日本語に直してくれる。そのような時代になったら、英語を学ぶ必要はないと思う人もいるかもしれない。
しかし、英語は常に変化している。日本語も同じことである。言葉は結局、1つの「コミュニティ」をつくっている。人間同士が言葉を交わしてこそ意味があるのであって、だからこそ、言葉は生きているのである。
言葉を人工知能任せにはできない
将来、人工知能が人間の言葉を完全に理解するようになる日は来るだろう。また、人工知能同士が言葉をやりとりするようになるかもしれない。
それでも、人間なしで人工知能だけが言葉をやりとりするということに意味はない。そもそも、コンピュータ同士で情報をやりとりするならば、人間の言語を用いる必要はないだろう。もっと効率的で、情報量の多いやり方がある。
言葉は、人間らしさの象徴であり、人間が生きている証しである。言葉をお互いにやりとりする「動態保存」は人間にしかできない。
言葉を人工知能任せにはできない。人間は、言葉とともに歩み続けなければならない。そう考えたら、毎日言葉を使うのが楽しくなるはずだ。
私が若いころ流行った「ナウい」は新しいと言う意味で使われていましが、もう使う人はほとんどいません。
また「アベック」は男女の二人を意味しましたが、もう「カップル」を使う人が多いようです。
「やばい」は以前は本当にヤクザなどがやばい場合にのみ使っていましたが、今では普通の人の褒める場合にも使われています。
時間だけが経過してもこれだけ言葉の意味は替わっており、言葉は生きています。そのように変化する言葉を脳は統計的な判断で処理をしています。