𠮷水神社(よしみずじんじゃ)は、元は「吉水院(よしみずいん)」といい、1300年以上前である天武天皇の時代(白鳳年間)に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した格式高い修験宗の僧坊でした。神社となったのは、明治時代に行われた神仏分離によって、吉水院が後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治八年に「𠮷水神社」(吉の字は口の上に土かんむり)と改められました。

1185年、兄である源頼朝の追手から逃れた源義経と静御前が弁慶等と共にこの吉水院に隠れ住みました。𠮷水神社書院内には義経と静御前が最期のときを過ごした「潜居の間」が残っています。義経はさらに追手から逃れる為に山伏の姿に扮して山へ入りました。その際に身に着けていた数々の武器や道具や衣装を吉水院へ隠していきました。その当時の遺品を𠮷水神社では現代まで大切に残してきました。

1336年、後醍醐天皇が京の花山院から吉野へと行幸された際に、吉水宗信法印の援護のもと、この吉水院を南朝の皇居とし、ここに住みました。それから南朝四代57年の歴史がはじめられ、𠮷水神社は現存する南朝唯一の行宮となっています。

1594年、豊太閤(豊臣秀吉)が満天下に権勢を示すべく、吉野で盛大な花見の宴を催しました。その際に、𠮷水院を花見の本陣とされ、数日間滞在しました。秀吉は歌の会・お茶の会・お能の会を盛大に開催し、その時に使用した道具や宝物を𠮷水院へ寄贈しました。

𠮷水神社にある書院は日本住宅建築史上最古とされており、ユネスコより「世界遺産」として登録されました。現在の日本住宅の源流をなす実例として数々の珍しい手法が見られる書院です。書院内には、源義経・後醍醐天皇・豊臣秀吉それぞれの時代の遺品や宝物が展示されています。