2009年8月の飛鳥散策、猿石の次は、鬼の俎・鬼の雪隠へ。







鬼の俎(おにのまないた)・鬼の雪隠(おにのせっちん)は、奈良県高市郡明日香村野口(鬼の俎)・平田(鬼の雪隠)にある花崗岩の石造物です。宮内庁により欽明天皇檜隈坂合陵の陪冢に治定されている。 

畑の中を通る遊歩道の脇の高台には「鬼の俎」が、遊歩道を挟んだ高台の麓に「鬼の雪隠」があります。両者は直線距離にして数十メートル離れていますが、元は1つの古墳の石槨だったものが、盛土が無くなったうえ、二つに分かれてしまったものといわれています。元々は花崗岩を繰り抜いた横口式石槨の蓋石(鬼の雪隠)とその底石(鬼の俎)であった。底石(俎)には横口式石槨の特徴である扉石を据えた痕跡が見られます。底石にはほぞ穴が並んでいるが、後世に割り取って石材として利用しようとしたためとみられています。 

大きさは次の通り。 

底石(俎):長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m。

蓋石(雪隠):内幅約1.5m、高さ約1.3m。 

言い伝えによると、風の森と呼ばれるこの地方に鬼が棲んでおり、通行人を騙してとらえ食べたと云われています。「俎」で調理し、「雪隠」で用を足したといいます。 

なお、この鬼の俎・鬼の雪隠には双墓(ならびばか)説があります。実は現在の俎の隣接したところにもう一つやや小さ目の底石がありましたが、明治の頃に小さく割られ民家の庭石に転用されたといわれています。すなわち鬼の俎・雪隠古墳は双墓であり、隣にあったもう一つの石槨墓と対をなしていたというのです。割られた石は民家から運ばれて現在は橿原考古学研究所付属博物館の屋外に展示されています。