猿石(さるいし)は、奈良県高市郡明日香村の吉備姫王墓内にある4体の奇石です。
梅山古墳(欽明天皇陵古墳)の南西には吉備姫墓とされる円墳(檜隈墓)があり、その墓域内に4体の石像が西向きに南北に並んでいます。単に「花崗岩」とする文献もありますが、宮内庁の調査報告では材質は石英閃緑岩とされています。

4体の像は北から順に通称で「女(女性)」・「山王権現」・「僧(法師)」・「男(男性)」と名付けられていて、このうち「法師」については力士とする説もあります。また「法師」像以外は裏面にも顔が彫られているとされてますが、墓域のため柵があり現地では確認できません。 

女(女性) - 高さ最大110cm、幅最大50cm、奥行最大110cm 

山王権現 - 高さ最大131cm、幅最大96cm、奥行最大82cm 

僧(法師) - 高さ最大114cm、幅最大74cm、奥行最大60cm 

男(男性) - 高さ最大88cm、幅最大64cm、奥行最大38cm 

猪熊兼勝は、百済益山の弥勒寺跡(英語版)の西石塔の四隅に置かれた石人像と類似し百済工人の技術が使用され、7世紀後半の作造と推定しています。

1702年10月5日に梅山古墳の付近にあった坂合村大字平田字池田という場所の田んぼから掘り出されて古墳の南側に置かれていました。その後、1875年10月27日の教部省から奈良県への申し入れでは「吉備皇女御墓柵内」となっており、この頃までには吉備姫王墓内に移されたとみられています。 

吉備姫王(きびひめのおおきみ・きびひめのみこ、生年不詳) は、飛鳥時代の日本の皇族(王族)で、吉備島皇祖母命の尊称を受けています。桜井皇子(欽明天皇の皇子)の王女で、母は未詳。茅渟王(押坂彦人大兄皇子の子)の妃となり、宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)・軽王(孝徳天皇)の母になります。大化の改新で有名な中大兄皇子(天智天皇)の祖母にあたります。