佐紀神社(さきじんじゃ)は、奈良市佐紀町(さきちょう)小字西畑にある神社です。祭神は、経津主命、天児屋根命、六御縣神です。 

変遷は明らかではありませんが、江戸時代に亀畑の佐紀神社より分祀されたものであろうと伝えられています。 佐紀西町(旧西畑村)の氏神であり、氏子地域は、神社西側の佐紀町字西畑です。 

上六人衆、下六人衆の宮座制度があり、東隣の釣殿神社(旧門外村氏神)とほぼ同じ御祭神、宮座制度を持ち、分祠の時期も江戸時代頃と考えられます。 それ以前は佐紀神社末社大国主神社が鎮座の起源とされています。 

二條村と西畑村の度重なる勢力争いにより、佐紀神社を名乗りだすようになったと伝承されています。 




佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)は、奈良市北西部、奈良丘陵の南西斜面の佐保川西岸・佐紀の地に所在する古墳時代前期後葉から中期にかけて営まれたヤマト政権の王墓を多く含む古墳群です。佐紀古墳群とも呼びます。 

写真は佐紀高塚古墳で、佐紀盾列古墳群、日葉酢媛命陵の西にあり、奈良時代の女帝孝謙(称徳)天皇の陵墓とされています。東西方向の不整形な前方後円墳で、西に拝所がある。孝謙(称徳)天皇は聖武天皇と光明皇后の娘で、西大寺を建立したことで知られています。 



 2010年5月は京都から大和西大寺に出て、すでに紹介した西大寺から八所御霊神社、秋篠寺をまわり、平城宮跡に向かう途中で佐紀盾列古墳群、佐紀神社をまわりました。