秋篠寺(あきしのでら)は、奈良市秋篠町にある単立の寺院で、山号はなく、本尊は薬師如来。伎芸天像と国宝の本堂で知られています。

寺は奈良市街地の北西、西大寺の北方に位置し、奈良時代の法相宗の僧・善珠の創建とされ、地元の豪族秋篠氏の氏寺ともいわれていますが、創建の正確な時期や事情はわかっていません。

776年、光仁天皇の勅願により善珠が創建したとも言われていますが、これは鎌倉時代の文書に見えるもので、文献上の初見は『続日本紀』に780年、光仁天皇が秋篠寺に食封(じきふ)一百戸を施入したとあるもので、この年以前の創建であることがわかります。(食封とは、一定地域の戸(世帯)から上がる租庸調を給与や寺院の維持費等として支給するもの)創建時は法相宗の寺院でした。『日本後紀』によれば、806年に崩御した桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われたことが記され、皇室とも関連の深い寺院であったことがわかります。

秋篠寺は平安時代になると真言宗寺院となり、平安後期からは寺領を増大させて南に位置する西大寺との間にたびたび寺領をめぐる争論があったことが、西大寺側に残る史料からわかります。

1135年には火災により講堂以外の主要伽藍を焼失しました。現存する本堂(国宝)は、旧講堂の位置に建つが創建当時のものではなく、鎌倉時代の再建です。

明治時代以降は浄土宗に宗旨を変更していましたが、現在は単立寺院となっています。

南門の外にはかつての鎮守社・八所御霊神社があり、早良親王など八柱を祀られています。

秋篠宮家が創設されたときには話題になり多くの参拝者が訪れたことが報道されました。

首を傾げた伎芸天を見たくて秋篠寺を訪れました。写真は2010年5月に撮ったものです。








八所御霊神社(はっしょごりょうじんじゃ)は秋篠寺の鎮守社として、秋篠寺の南西に鎮座しています。秋篠寺と同様に資料が少ないため、確実な歴史などは不明です。