石峯寺(せきほうじ)は、伏見区深草石峰寺山町にある黄檗宗の寺院で、山号は百丈山(ひゃくじょうざん)、本尊は釈迦如来、「石峰寺」とも表記します。
1713年、黄檗宗大本山萬福寺の第6世千呆性侒(せんがいしょうあん)が開創しました。石峯寺は平安時代中期に摂津国多田郷に建てられた沙羅連山石峰寺に発するといわれています。兵火に遭い、寺は焼亡したが、本尊の薬師如来像は土中から1596年に発見されたとされ、京都五条大橋東あたりの祠に祀られていました。この薬師如来を尊崇する千呆和尚が、1713年にいまの深草の地に移したという。
寺の境内裏山にある五百羅漢の石像群は、安永年間(1772年~1781年)から天明年間(1781年~1789年)にかけて絵師の伊藤若冲が下絵を描き、住職密山修大と協力して制作したもので、「若冲五百羅漢」として今も親しまれています。当時は千体以上ありましたが、現在四百数十体が残っています。
また観音堂の格天井には若冲が天井画を描きました。しかし観音堂は幕末の1859年以前に破却され、天井画は寺外に流出、現在は信行寺(左京区)や義仲寺(大津市)が所蔵しています。
若冲は1791年に石峯寺門前に草庵を設けて隠棲していましたが、1800年9月10日、85歳の生涯をその草庵で閉じ、同寺に葬られました。石峯寺には若冲の墓があり、2000年から毎年9月10日に若冲忌を営んでいる。
1915年、本堂が焼失するが再建されました。しかし、1979年に放火によって本堂が本尊の薬師如来ごと焼失すると1985年11月に、新たに釈迦如来を本尊として本堂が再建されました。2007年5月、石像の地蔵菩薩約30体が倒され、うち5体が損壊していた事件が起こりました。
写真は2009年1月に訪問したときのものです。
伏見稲荷から石峯寺に向かう途中に、ぬりこべ地蔵がありました。約1mの石仏で歯痛や病気の痛さにご利益があると言われています。「ぬりこべ」には、「痛みを封じ込める」「病を塗り込める」というような意味があるそうです。