アサヒビールの大山崎山荘美術館ではモレの絵を観賞しました。天王山の中腹に位置し、木津・宇治・桂川の三川を望む「大山崎山荘」。美術館は、大正から昭和初期にかけて加賀正太郎によって建築された「大山崎山荘」(登録有形文化財)を本館として、建築家・安藤忠雄設計による地中館(1995年竣工)、山手館(2012年竣工)とともに公開しています。年に3~4回、山手館を中心に企画展を開催し、本館は、企画展展示とともに民藝運動ゆかりの作品を、地中館では印象派のクロード・モネの代表作として知られる《睡蓮》の連作を展示しています。また、約5500坪の敷地面積を有する庭園には数多くの植物が配され、四季折々に眼を楽しませてくれます。本館2階・喫茶室のテラスからは雄大な景色を望むことができ、企画展に合わせた特製スイーツや、ビールなどを楽しむことができます。1915年には夏目漱石がこの地を訪れ、実業家・加賀正太郎が建設中であった山荘(現・アサヒグループ大山崎山荘美術館)を訪ね、「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を詠みました。ウイスキーにビール、山崎の名水がこの二つの工場をこの地に呼んだのでしょう。天王山は丹波山地の南東端に位置し、大阪平野から京都盆地に入る関門を成す標高270.4mの山です。古来より地理的、地形的に重要視され、山上一帯には度々城が築かれました。今日残る城跡は羽柴(のちの豊臣)秀吉が天正10年(1582)に勃発した山崎合戦の直後に築城したもので、天下統一の出発点になった城です。この「天下分け目の天王山 山崎合戦」に勝利した秀吉は天下人まで一気に駆け上りました。このことが転じて、天王山の意味は「勝敗や運命の重大な分かれ目」のことをさすことばとして、使われるようになりました。言い換えるなら「ここ一番の大勝負」「天下分け目の戦い」「大一番」などです。“勝負を決する大事な場面や時”、“勝負の分岐点”を意味して「天王山」と表現するのは、秀吉の山崎の合戦を由来としています。