北野天満宮(きたのてんまんぐう、)は、上京区にある神社で、神紋は「星梅鉢紋」。
通称、天神さん・北野さんとも呼ばれています。福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心として、近年は学問の神として多くの受験生から信仰されています。
元々、北野の地には、天神地祇を祀る現・摂社の地主社と、火雷神を祀る現・摂社の火之御子社の二つの社がありました。
901年1月に右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって大宰権帥に降格されて大宰府に左遷され、903年に大宰府で無念の死を遂げました。その後、藤原時平が909年4月に亡くなったり、落雷などの災害が相次いで起こったりすると、これが道真の怨霊による祟りだとする噂が広まり、朝廷は、没後20年目となる923年4月に道真の左遷を撤回して右大臣に官位を復し、正二位を贈りました。そんな中、930年6月に清涼殿に落雷が直撃し、大納言の藤原清貫と右中弁兼内蔵頭の平希世が死亡するという清涼殿落雷事件が発生し、3か月後に醍醐天皇が崩御すると道真の怨霊によるものとの噂は噂ではなくなり朝廷は恐れおののき、道真の怨霊は天満大自在天神となったともされ、それが北野の火之御子社の火雷神と結びつき、道真は雷神である火雷天神であるともされました。947年6月に北野に朝廷の命で、道真を祀る社殿を造営されました。その後、藤原師輔(藤原時平の甥)によって壮大な社殿に作り直されました。
中世になると菅原氏・藤原氏のみならず足利将軍家などからも崇敬を受けました。1587年10月、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催されました。境内西側には秀吉の命で築造された史跡「御土居」が残っています。
2022年、明治時代まであったが壊された庭園「花の庭」を梅苑「花の庭」として復興しました。道真は梅をこよなく愛し、大宰府左遷の際、庭の梅に「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」の和歌を詠んだことや、その梅が菅原道真を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという飛梅伝説ができたことから梅が神紋となり、約2万坪の敷地には50種1500本の梅が植えられています。
道真の命日にあたる2月25日に梅花祭が行われています。
牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされています。その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承があります。それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれています。伝承のうち「牛が刺客から道真を守った」というのは和気清麻呂を祭神とする護王神社や和気神社の猪の伝承との関連性が強く認めらます。
毎年1月2日は筆始祭、三筆に数えられた菅原道真にちなみ、書き初めが行われます。
学問の神様でもあり、事前学習でそのことを生徒達に伝えるとともに、何度もお詣りしたり御守りを買ったりしました。
門前の豆腐屋さんがやっているとようけ茶屋にも何度かお邪魔してリーズナブルな豆腐料理をいただきました。