報恩寺(ほうおんじ)は、浄土宗のお寺で、山号は尭天山、本尊は阿弥陀三尊です。「鳴虎(なきとら)」の通称で知られています。
詳しい創建年は不明ですが、寺伝では室町時代に一条高倉に天台浄土兼学の寺院・法園寺(または法音寺)として創建されたと記されているそうです。
室町時代中期には八宗兼学の寺となっていましたが廃れてしまい、1501年に後柏原天皇の命により、慶誉によって堀川今出川に浄土宗の寺院として再興され、名称も報恩寺と改められました。このときに、天皇から「虎の図」が拝領されました。
1585年に豊臣秀吉の命により現在地に移転しました。この頃に、秀吉が報恩寺を訪れ、後柏原天皇から送られた「虎の図」を気に入り、それを借りて聚楽第に持ち帰って飾ってみたところ、「虎の図」は一晩中うるさく吠えて秀吉は眠ることができず、すぐに報恩寺に返却したという逸話が残っており、この「虎の図」は「鳴虎」と呼ばれるようになり、報恩寺の通称にもなりました。
1623年8月、徳川家光の将軍宣下の先遣として病を押して上洛した福岡藩主黒田長政は報恩寺を宿泊したが、客殿にて56歳で病死、この客殿の間には長政とその父黒田官兵衛の位牌が安置されています。
また、平安時代以降気に鋳造され、「撞かずの鐘」として秘話が残る重要文化財の梵鍾も有名です。重要文化財の梵鐘は平安時代の作で、「勿撞の鐘」といわれています。仲の悪い丁稚と織子がお十夜の晩にいくつ鐘が鳴るかで賭けを行い、賭けに負けた織子が口惜しさのあまり死に到ったという話があり、以後、除夜の鐘以外は撞かなくなったということである。
2014年、大河ドラマ「軍師官兵衛」の年の冬の旅特別公開で訪れました。境内はフリーですが、拝観には予約が必要です。