今日は久しぶりのザ雨☔。

 

先週末に横浜山手方面へ薔薇🌹を見に行きました。

 

 

山下公園

 

                    山下公園
                 外交官の家
 
港の見える丘公園
 

薔薇といえば、昨日は「母の日」でした。

ブロ友さんの皆様のところでも「母の日」にちなんだブログが多く見られました。🤩

 

 

改めて「母の日」について考えた事はなかったですが、

西条八十さんの二つの「母」についての詩が気になりました。

 

一つは

ずばりそのもの、

 

「お母さん」 西条八十

 

おかあさん おかあさん

おかあさんてば おかあさん

なんにも ごようは

ないけれど

なんだか よびたい

おかあさん

おかあさん おかあさん

おかあさんてば おかあさん

なんべん よんでも

うれしな

おへんじなくても

うれしいな

 

 

大好きなお母さんを「おかあさん」と

呼ぶだけで満たされる子供の素直な気持ちを表したこの詩には

微笑ましく、それでいて胸が熱くなります。

 

そしてもう一つが

「(ぼくの)帽子」(後から「帽子」だけに改題されたようです)

 

ブロ友様がとりあげられ、私も忘れられない詩。

 

 

久しぶりに読み直してみて、

しみじみと、この詩の奥深さが伝わりました。

 

季節は移り変わるのに、

見つからないままの好きだった帽子への喪失感。

失くしたからこそ、かえって帽子への愛着は増すばかり。

あの時一緒だった僕の母さんへの愛情と共にある苦い思い出。

 

わたしの心にも音楽のように、

いく度も「母さん」のフレーズが寂しくこだまします。

 

 

「(ぼくの)帽子 」 西条八十

 母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね? 
 ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、 
 谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

 母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
 僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、
 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 母さん、あのとき、向から若い薬売が来ましたつけね。
 紺の脚絆に手甲をした。
 そして拾はうとして、ずいぶん骨折つてくれましたつけね。
 けれど、たうとう駄目だつた、
 なにしろ深い谿で、それに草が
 背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。

 母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
 あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
 もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
 秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。


 母さん、そして、きつと今頃は、今夜あたりは、
 あの谿間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう、
 昔、つやつやひかつた、あの以太利麦の帽子と、
 その裏に僕が書いた
 Y.Sといふ頭文字を
 埋めるやうに、静かに、寂しく。
 

 

「いかがでしたでしょうか❓」

 

二つの詩は、いっけんすると同じ西条八十さんの作品には思えません。

最初の「お母さん」は子供向けに。

「(ぼくの)帽子」は大人向けに書かれた「母」を想う詩、なのでしょうか?

 

森村誠一さんの「人間の証明」によって

この「帽子」はものすごく重くて暗い影を背負わされたように思います。

 

 

 

それは西条八十さんが予想もしない展開だったかもしれないですね。

そのイメージが頭にこびり付いて、もはや離れそうにもありません。

 

それにしても、なぜそんなにも⁉️私が⁉️この詩を忘れられないのか❓❓

その答えは、わかっています。

 

私の名前、旧姓のイニシャルが、そのものズバリ、

「Y.S」だった、という共通点があったからに他なりません。

「ヤソ サイジョウ=Y.S」

 

私の「Y.S」も結婚と共に静かに寂しく埋められたのかもしれません。

 

今日は、少しセンチメンタルな記憶と共に終わりたいと思います。

 

本日もお付き合い頂き感謝申し上げます。ありがとうございました♪