昨夜、民放のテレビで放映された「戦後80年特別番組 なぜ君は戦場へ?」を視聴。
その中の一つ「最後の特攻隊」は“終戦後”に大分海軍航空基地から特攻に出た青年
と帰りを待ち続けた少女の物語で、終戦を知らせる玉音放送の4時間後に出撃して行
った若者たちの気持ちも少し分かるような気がしました
出撃直前の写真、みんな笑顔で元気そうだが
同時刻のもう1枚の写真はそうでは無かった
特攻の基地と言えば鹿児島県の知覧や鹿屋が有名です。あまり知られていないと
思いますが、指宿近くの海軍航空基地からは攻撃力が無く、速度も極めて遅かった
水上偵察機までも特攻機として飛び立っています。
昨日のテレビでは、無駄死にと思えるこの基地からの水上偵察機の特攻も取り上
げていました。何度かさくらと特攻慰霊に立ち寄ったことが有ったので、写真を探し
出して手を合わせています
指宿特攻基地跡
指宿海軍航空基地哀惜の碑。
昭和20年4月29日から7月3日まで、水上偵察機の重たいフロートをぶら下げ
片道燃料で44機出撃して82名の戦死
水が大好きなさくらは砂浜に下りて水遊び(2005年3月)
向かいの小島は知林ヶ島(ちりんがしま)
干潮時には田良浜と知林ヶ島を結ぶ砂の道が現れ、歩いて渡ることができる
そんな長閑で美しい海の底に80年前の特攻機の残がいが見つかった
僕は20年前の指宿と知覧の特攻基地跡を訪ねた時の写真を振り返って、いつも笑顔のさくらが
一度も笑っていないのに気付いた