「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」
月や花をこよなく愛し旅に生きた漂泊の歌人として知られる西行の代表的な歌で
学生時代から好きな歌と歌人である。
ちなみに西行が弘川寺にて73歳で亡くなった文治6年2月16日は、西暦の1190年
3月30日になるそうで、その日が満月だったかどうかは知らないが願い通り桜の
季節であったようだ。
そんな訳で先月30日、桜がちょうど見頃の弘川寺で西行に思いを馳せた
弘川寺の上に在る葛城山登山口の駐車場も花盛り
西行堂
西行墳
1500本の桜が桜山の山や谷をピンク色に染める
江戸中期、西行を慕う広島の歌僧似雲法師はその終焉の地を見付けて
西行が愛した桜を植え、その中に「花の庵」を建てて生涯を終えた。
江戸時代にはここから大阪湾越しに須磨や明石がはっきり見えていた
のだろう
今でも晴れた日は六甲の山並みを見ることが出来る
似雲の花の庵址から少し上に立つ西行庵址の碑。
800年前の山里の情景が目に浮かぶ
西行が没してから800年余り経って弘川の里の景色はすっかり変わってしまったが
これからも春になれば桜は花を付け西行を慰め続けることだろう