天気の良い日は南河内サイクルラインをポタリング
石川サイクル橋でひとやすみ
休日は自転車乗りがたくさん走りに来る。
地元民には見慣れた景色だが二上山から金剛山まで大阪の屋根の山並みを
眺めながら、近年清流を取り戻してきた石川沿いを走るサイクルコースが
南河内の風景と相俟って魅力的らしい
石川上流
石川下流
ポッチャリダーの愛車『ぽっちゃり号』
今の時期、石川河原は野草の花畑
ナヨクサフジの色が濃くなって来た
オオキンケイギクも元気
今日は石川を渡って太子町へ
二上山が近付く
太子町と言えば聖徳太子が眠る磯長廟。
石川を渡って東進し、聖徳太子御廟がある叡福寺に立ち寄る
叡福寺は、推古天皇30年(622年)旧暦2月22日(太陽暦4月11日頃)、
太子が49歳で薨去された後、前日に亡くなった妃の膳部大郎女
(かしわべのおおいらつめ)と2か月前に亡くなった母 穴穂部間人
(あなほべのはしひと)皇后と共に埋葬されており
霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりと伝わる
左右に金剛力士を安置する南大門
南大門を潜ると北側正面に聖徳太子御廟
西側に金堂と宝塔が建つ
宝塔の東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西面に金剛界の大日如来を安置し、
4本の柱には四天王の像が描かれている
境内には何故かツツジがまだ元気よく咲いていた
聖徳太子16歳植髪等身像と南無仏太子2歳像が祀られている太子堂
御廟を参拝
聖徳太子御廟は直径54・3m、高さ7.2mの円墳。横穴式石室で
太子と母后・穴穂部間人皇女、妃・膳部大郎女の三体を合葬する
御廟には多くの名僧、高僧が参籠したという
御廟から叡福寺境内を振り返ると背景の葛城・金剛が近い。5Kmほどで奈良県だ
このところ、チャリダーで真っ黒に日焼けしてケガ人には見えそうにない。
ちょっとマズイかな