赤坂城塞巡りの最後に金剛山登山口の一つになっている千早城跡への登り口にやってきました。
千早城は本城である上赤坂城の詰城として楠木正成が築いた堅牢な山城で、楠木七城のひとつ。
『太平記』にも登場する「千早城の戦い」の舞台となった城で、奇策を用いて籠城戦を戦いぬき
幕府軍を撤退させたことで有名です。
国の史跡、日本100名城に選ばれており、城跡には千早神社が在ります
標高673メートルの千早城跡まで600段近い石段が続きます。
重い甲冑武具を身に付けて険しい山中の戦など、ひ弱な僕などとても無理だったでしょう
この石段を登ると千早城址だけど
本丸はまだ先
ここが本丸跡らしい
本丸跡に建つ千早神社の階段手前の右側から金剛山頂への登山道に続きます
甘くまろやかな口当たりの手水でした
千早神社の祭神は楠木正成、正成嫡男正行(まさつら)、正成夫人久子。
久子は夫や息子たちの戦死後、敗鏡尼と称して生まれ故郷の南河内の
山里に草庵を結び一族の菩提を弔いました
千早神社参拝後、楠木七城のひとつ竜泉寺城址が在る富田林の嶽山に向かいます
嶽山は山一面ミカン畑が広がり、山頂にはかんぽの宿が在って行楽客で賑わっています
夏草や 兵どもの 夢の跡
竜泉寺城址の在る嶽山の麓、楠木正成の妻久子が出家して亡き夫や一族の冥福を祈った
草庵跡に立つ「楠妣庵(なんぴあん)観音寺」
久子はこの近くで生まれたと言われています
現在の天皇や皇族方は「北朝」の皇統ですが多く参拝されていました
久子は敗鏡尼と称し、この地で念持仏の十一面観世音を奉祀して夫と息子、一族郎党の
菩提を弔いつつ16年の余生を過ごしました
奥の十一面観音堂には1365年に61歳で入寂した楠公夫人が静かに眠ります
以上で金剛山の楠木正成の城塞巡りを終わります。見ていただきありがとうございました