桜前線、九州へ
(夏の北海道なども残っているので、掛け持ちしながら少し駆け足で回ります)
今年も桜前線をたどる旅の始まりは、やはり南国九州から。
一足早い春を訪ねて3月下旬に旅立ちました。
予定のコースは瀬戸内海沿いに山口まで走り、関門トンネル(海底を走っているという
スリルがなんともいえないのでいつもトンネルを通ります)を潜って九州へ入り、
玄界灘沿いに福岡、佐賀、そして故郷の長崎まで一気に走ります。
お彼岸にご先祖様のお墓参りを済ませて、島原半島まで下り有明海をフェリーで渡って
熊本へ。熊本から鹿児島、宮崎、大分の順にご当地の桜の名所を訪ね山を歩き、佐賀関
から豊予海峡をフェリーで愛媛県の佐田岬へ渡り、さくらがまだ登っていない四国の二
つの百名山、石鎚山と剣山に登山。初体験のお遍路道も少し体験し、4月下旬に大阪に
戻る約ひと月の旅の予定でした。
いつものように午前零時に家を出て、深夜の国道をひたすら西へ。
岡山、広島を休みなしで走りぬけ、山並みが黎明に薄く浮かび上がるころ山口に入り、
ここで岩国の錦帯橋に立ち寄ってひと休みです。

3月下旬、錦川の水は冷たく、有名な川沿いの桜もまだつぼみでした。

九州に入り、玄界灘沿いを佐賀まで走り、豊臣秀吉が朝鮮出兵のために
築いた名護屋城跡に立ち寄りました。
わずか半年で築かれたという名護屋城は当時大坂城に次ぐ広壮な規模のお城で
文禄・慶長の役では、延べ30万の兵が海を渡ったそうです。
ここの桜も残念ながらまだチラホラ咲きでした。


新鮮なイカ刺料理で有名な呼子へ行き、エメラルドグリーンに輝く海と柱状節理の
七つ釜の断崖を歩き、荒波にえぐられた釜を身を乗り出すようにして眺めました。
懐かしいパパさんのふるさと長崎に着いて、西海国立公園の九十九島、遥かに続く
山並みとなだらかな丘陵を一望する草原の上でくつろぎました。
青い空と青い海が一体になり、たくさんの小島が空中に浮かんでいるようでした。
パパさんも子供に戻って(今でもまだ子供ですが)、さくらと一緒に転げまわって
遊びました。





ハウステンボスの近くを通り、西海橋に行きました。西海橋は日本三大急流(潮流)といわれる
伊の浦瀬戸に架かる橋で、1950年の完成当時は東洋一のアーチ橋として評判を呼びました。
パパさんも遠い記憶の中で、誰かに背負われて見たような気がするそうです。


2年前に完成した隣接する新西海橋(歩道部分)の上からの眺めです。この歩道には足元に
のぞき窓が数ヶ所設けられていて、渦潮を真下に見ることができていいですよ。
ただし、夜間は通行禁止になります。
地獄めぐりで有名な雲仙温泉や城下町島原など見どころいっぱいの島原半島をぐるっと
回り、島原城と武家屋敷などを見学しました。


街中の至る所に雲仙の湧き水があり、武家屋敷の道沿いにも清らかな水が流れていました。
隣の深江町にある道の駅みずなし本陣ふかえには土石流被害家屋保存公園
があって、平成4年8月8日~14日の間の雲仙普賢岳の噴火による土石流
によって埋まった11軒の民家がそのまま保存されています。

平均2.8メートルも埋没、屋根近くまで土に埋もれていて
土石流のもの凄さを実感できました。

さくらも屋根の上に上ったものの、何となく違和感を覚えていました。

右手後方に普賢岳と日本で一番新しい山平成新山が見えます。
雲仙岳に登り、雲仙地獄を歩きました。


今から半世紀以上も前、映画「君の名は」のロケで、ヒロインの真知子役の岸恵子さんが
手をついた岩、それだけで観光名所となった真知子岩で記念撮影しました。
パパさんはラジオドラマの「君の名」が始まると銭湯の女湯がカラになった、という話は
よく聞いたよ、と教えてくれました。
近くには「忘却とは 忘れ去ることなり、忘れえずして 忘却を誓う心の悲しさよ」と
どこかで聞いたことがある言葉が刻まれていました。
江戸時代初期、キリシタン弾圧に民衆とともに抵抗した島原の乱で天草四郎が立てこもり
やがて落城した悲劇の原城跡。
目の前に美しい島原湾が広がる丘の上には桜がほころび菜の花が香り、惨たらしい歴史など
感じさせないのどかな風景の中に、石垣のみがひっそりと残されていました。
このあと、有明海をフェリーで熊本へ渡りました。(続きます)

天草四郎さん、立ちっぱなしで疲れませんかー?
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