Sakura-Ju LLc 統括船頭に繋がる原点は・・・・・・
今を遡ること、13年前2008年秋のことやった
不惑などとと言われる40歳を前にして、ふと立ち止まり、自分自身の過去・現在・未来について想いを馳せてみてん。
またまた話は遡るけど・・・・・・
10代の頃、電車通学で初めて満員電車を体験した瞬間、鮮明にふたつの言葉が思い浮かんでん!
ひとつは、「俺は、絶対サラリーマンでけへん」という言葉。
⇒社会人になって、40年近くをすし詰め状態の満員電車で通勤する自分自身が、どうしても想像できんかった。
そして、もうひとつは「親父ってすげぇなぁ」と、心から敬意を感じた。
⇒だって、毎日あんな満員電車に詰め込まれながら、一言も愚痴や文句言うことなく、淡々と母や僕を養ってくれてたという事実に愕然とした。
ということで、初心貫徹(?)で僕は、一度もサラリーマンや勤め人をした経験がない。
当時の僕は、『仕事=お金を稼ぐこと』でしかなかったから、とにかく人から頼まれたことを淡々とこなすだけ、ただ、「給料以上の仕事はしよう」という意識しかなかってんけど、僕に仕事頼んでくれる方々は、『一生懸命仕事してくれる』などと、良い方に勘違いしてくれていた様子で、今で言うところのフリーター(社会人になって定職についてない者はプータローなんて言われたものです(*^-^*))の僕を割と大事にしてくれてはった・・・・・・ということを、実はつい最近になって気づいてんけど😅
そんな感じで迎えた39歳の秋・・・・・・不惑などとと言われる40歳を前にして、ふと立ち止まり、自分自身の過去・現在・未来について想いを馳せたとき、腹の底から『このままやったら、あかん!』という想いと、『何か、せな(しなければいけない)!』という情熱みたいな何かが湧いてきてん。
誰がビックリしたか言うて、僕自身が一番ビックリ驚いた!
ちなみに当時の僕がどんな状態だったかというと・・・・・・
『自分自身に自信がなく、自分が好きになれない・学歴無し・特技無し・仲間いない、その上、夢もやりたいこともない』
自分自身を見つめ直し、改めて唖然とすると同時に、どこか肚が据わったような気がしてん。
「僕って、ホンマに何も無いやん」と自分自身で認めてしまえば、肩の荷が降りたように楽になった気がして、何だか笑けてきてん。
ほんで、「自分が好きになれなくて夢もない、ホンマに何もない僕が、本気で楽しいと感じてる瞬間ってあったやろか?」って、自問自答してみたら、あってん・・・・・・『僕、人を喜ばせること大好きや!サプライズとか考えてるとき、本気でワクワクしてるわ!』って気づいて、またワクワクしてきて、「ほんなら、それ仕事にしよ!」って、思った。
ほんで、「人を喜ばせることを仕事にして、生き詰まるんやったら、僕はこの世にいらんってことや!」と、小さな覚悟が生まれてん。
『今さえおもろかったらえねん』『おもろいプライベートのために仕事してお金稼いでんねん』と、思ってた僕が、『何てこと思い始めてん?』と、何か他人事みたいに感じる僕と、心底ビックリしてる僕がおってん。
当時、好きに仕事させてもらいながら結構ええ給料もろとってんけど、「このまま続けてたら、あかん!」と感じて、その仕事も辞めさせてもろてん・・・・・・ちょっとええカッコしてウソついてもた😁
ホンマは、自分からよぉ言い出せんびびりんちょ(気が弱いひとのこと)やったから、自分の居場所がなくなるようにして、先方から「辞めてくれるか?」って言われるのを、ひたすら待っててん。
今思えば・・・・・・「何で、ちゃっちゃっと辞めさせていただきます、潔く言うたらええのに💢」って思うけど、当時の僕は、そんくらいあかんたれやってん😅
あの頃は、まだ起業するリスクが高いと思われてたこともあって、週末起業ってのが流行りつつあった時代背景やった。
週末起業いうんは、月~金曜日はサラリーマンして、週末に得意な事や好きなことを仕事にして、リスクを最小限に抑えた起業と捉えてもらったらええと思うんやけど・・・・・・そんなこともあって、さかんに、異業種交流会みたいな寄合が行われて、右も左も分からんまま、僕も参加させてもろたわ。
みんな、「何か始めよう」って志を持って集ってはるから、名刺交換するたびに訊かれるねん。
「何をされる予定なんですか?」
僕は、満面の笑みで
「僕、人を喜ばせることを仕事にしたいと思てます」
と答えたら、100人中95人の方は、
「あぁ、そうですか。頑張ってくださいね」
と、可哀そうな子を見るような目で去っていかはりました。
そして、残り4人くらいの方は、
「起業を舐めたらあかんで」とか、「もっと具体的なプランを立てて」
とか、親切に諭してくださってんけど、僕は本気で言うてたし、『人を喜ばせることを仕事にする』以外に、何も拠り所がなかったし・・・・・・
それからも、馬鹿にされること多数、居場所がなくて悔しい想いをすること数え切れず、様々な職種に勧誘いただく経験のなか、「やっぱ、僕ってアカンわ」と、何度も落ち込んでは、這い上がる日々やったよ。
だって、『人を喜ばせることを仕事にする』ことが生き詰まったら、『僕に明日はない!』と思い詰めてたからね・・・・・・・
今思い返せば、『あの頃に、あかんたれな性根を鍛えられたんかもしれん』と、有難くかんじてる。
そんな中、生まれて初めてできた親友が、沖縄で講演会を主催することになり、応援の気持ちで沖縄入りしたことが、大きな転機になってん。
その講演会は、内地から3名の講師を招いてたんだけど、その中のお一人・上田比呂志さんが、「大阪で僕の講演会を主催してくれないかい?」と仰ってくれはったことをきっかけに、講演会を主催するという大役を賜ってん。
むっちゃ困ったで・・・・・・だって、上田比呂志さんが仰ってくれはったときは、嬉しくてのぼせて安請け合いしてしもたけど、講演会主催しようと思ったら、手伝ってくれるスタッフが必要やんか。
当時の僕に、講演会を手伝ってくれるような仲間や友達は、ほぼ皆無やったから困り果てて、コーチングで同期やった方に連絡して、「手伝ってくれへんかなぁ」と打診したら、快諾してくれはった上に、友達を連れてきてくれはってん。
その後、コーチング同期の方とは、何となく疎遠になってしまったんやけど、彼女がご紹介くれはった友達は、上田比呂志さんの講演会を大阪で開催するたびに手伝ってくれるようになって、むっちゃ助かったわ。
でも、ある講演会終了後のこと。
「上田比呂志さんの講演会を主催するたびに手伝ってもろてるけど、お互いのこと全く知らんよね」
ということで、上田比呂志さんの講演会とは関係なく、ランチをご一緒させてもらって、色々話し合ってん。
そのとき、どんな話題やったかは記憶にないんやけど、お互いに共感・共鳴し合ったという感覚は、今も鮮明に残ってる!
そんなこんなで、半年から一年くらい時間が流れ、同じ時期に彼女も僕も、会社を立ち上げることになってん。
僕が立ち上げることになったいうても、ほとんど神輿に乗っかったような状態で、何かよぉ分からんまま話が進んだ感じがしててん。
でも、『人を喜ばせることを仕事にする』という子供みたいに真っすぐな想いを理解してくれた(と、僕が勘違いしていた😆)方が尽力してくれてはったということもあって、何となくズルズルと会社立ち上げへと話は進んでてん・・・・・・
そして、いよいよ登記しようという段階になって、僕の中の直観が『あかんで、これ!』って、激しくアラームを鳴らしよんねん。
ほんで、会社が立ち上がるギリギリの段階で、ちゃぶ台返しみたいに、「僕、やりません!」って、断ってん。
あのシーンは、今でも思い出すわ・・・・・・JR大阪駅上、グランビア大阪19F・リバーヘッドって、カフェやった。
僕自身の中に、不動明神さんが宿ってるかのような迫力だったと思うねん。
饒舌なその方が、一言も発することなく、承諾しはったもん。
不義理したことは、ホンマに申し訳なかったと思うけど、あの方と会社立ち上げなくて良かったんやと思う。
話は少し戻って、上田比呂志さんの講演会を手伝ってくれてた彼女も、同じ時期に、女性二人で会社を立ち上げてん。
ほんで、法人登記してみたら、事業や仕事への価値観が正反対くらいに違ってることに気づいてしまってん。
せやけど、『会社は立ち上がってるから潰すわけにはいかないし、せやから言うて、価値観の違う彼女と一緒にはやっていけへんし』と、悩み抜いた末、僕に相談乗ってほしいって言うてきてうれはってん。
その彼女こそが女将で、そのとき立ち上げた会社がSakura-Ju LLc やってん。
その頃の僕は、会社立ち上げを蹴ってしもたりして、進むべき道を見失ってブラブラしてたから、
「いいよ!」
って、ふたつ返事で答えてん。
当時の僕には、会社を経営するなんて感覚はなくて、『女将が頼ってきてくれたことが嬉しかった』し、『女将に喜んでもらえるなら、僕の仕事になるかも』と、思ったのはウソじゃないけど、ホンマの本音の部分は『会社って、最高におもろいおもちゃやん!』っていう感じが、正直なところやったよ。
ほんで、Sakura-Ju LLcはどんな会社にしてゆこうかと話し合う中で、『やり方より在り方を大切にする会社や』ということで、
『私たちと関わるすべて皆様が笑顔で豊かになる』という理念(=在り方)が生まれてん。
次に、どんなことがしたいかいうことを話し合うてたら、『日本中に埋もれた魅力的な人・モノ・文化を世界に発信してゆけるようになりたいね』ということになり、『それやったら、海外の方々にウケるような肩書作ろうや』という遊び心が芽生えだしてん。
『ほんなら、僕はSakura-Ju LLcの水先案内人的な役割やから、統括船頭(船頭)って肩書がええんちゃう』
『Sakura-Ju LLcを切り盛りする女性やから、代表女将(女将)という肩書がピッタリやん』
ということで、Sakura-Ju LLcの女将と船頭が誕生してん・・・・・・確か、2012年の5月頃かな
あれから9年近くになるけど、女将・船頭という肩書も定着してきて、ホンマに有難いと感謝・感激の毎日やわ。
個人的なことで言うたら、40歳前まで、常に感じてた胸の真ん中にポッカリ穴が開いたような空虚感は、埋もれつつあるように感じてる。
ほんで、直観的に閃いた『私たちと関わる全て皆様が笑顔で豊かに』という理念(=在り方)は、その壮大さを改めて実感してるけど、Sakura-Ju LLc前の39年間より濃厚な、Sakura-Ju LLc後の9年間の経験・出来事を以てしても、全く揺るがんかったことは自分たち自身を誉めてやりたい気分。
ほんでから、『日本中に埋もれた魅力的な人・モノ・文化を世界に発信してゆけるようになりたい』に関して振り返ってみたら、そのことを実現してゆくために、まず自分自身と向き合わされた9年間やったように感じてて、いよいよこれから本格的にSakura-Ju LLcが始まってゆくことを確信して、ワクワクしてんねん。
八月八日の新月、新たなSakura-Ju LLcが始まる確信の日、もう一度、自分自身の原点に立ち帰り、見つめ直し、書き綴っておきたいと思いました。
取り留めのない長文を最後まで読んでくださった方に、心から感謝してます!
おーきに!
これからのSakura-Ju LLc、そして、女将と船頭に、注目しといてな。
きっと、おもんなってゆくで(面白くなってゆきますよ)😉👍